2/21-2/24までの4日間、石川県鳳珠郡穴水町で災害ボランティアをしてきた。2/20の22時に宇都宮を出発し、今後4日間を共に活動する初対面のボランティア同士挨拶。車内では少し雑談をした後、おのおの眠りについた。
約8時間後、運転ボランティアの安全運転のおかげで、無事早朝に穴水町に到着した。道路には大きな亀裂や隆起があり、中心街の道を走ると全壊の建物が目に入る。事前に写真で見ていたが、やはり生で見ると衝撃的で、唖然としてしまう。
活動全般をコーディネートしてくださったのは、名古屋市のNPO法人レスキューストックヤード(RSY)。RSYの活動拠点は学童施設を借りた場所らしく、中に入ると20名ほどのボランティアが集っていた。先日から活動している人から引き継ぎを受ける。初日は水道が復旧していなかったので、トイレトラックの場所や手洗いうがいの水の使い方など聞いた。先週までは、電気も復旧していなかったらしい。
活動内容は、社会福祉協議会と連携した避難所の運営サポートや、避難所での足湯、個別訪問、他にもボランティアセンターに寄せられたお困りごとに応じた活動など様々。限られた時間、自分に何ができるだろうか。とにかく手を動かそう、と思った。
◆災害ごみの回収
初日は、7人1チームで災害ごみの回収を行った。「災害ごみ」として、被災された方が分別したものが道路に出されているため、1軒1軒回り、2トントラックに詰め込んだ。大きなタンスや棚、コンクリートの壁材、布団などが、地震の影響で壊れ、雨に濡れていた。発災から2か月たってやっと、ボランティアが来て回収できたんだな、というのが率直な感想だった。午前中は2軒分だけでトラックがいっぱいになってしまった。
活動した地区は穴水町中心部から車で30分ほど。中心部の役場近くに回収場所があるため、往復1時間かけてごみを出す。午後は4軒ほど回り、その地区の回収は完了したそうだ。これまで使っていたものが一瞬でごみになってしまうと肌で感じた。
◆個別訪問
個別訪問では、地図をもとに2~3人1チームで全宅訪問を目指して1軒1軒回った。発災直後の時期を過ぎ、今はすべての人が避難所にいるわけではない。息苦しく常に他人の目がある集団生活より、よほど危険な状態でなければ自宅にいる選択をしている方もいた。私が個別訪問をした地区はそういう方が多かった。
「90代の母が一人暮らしをしていたこの家。もうここには住めない。娘の私のところで一緒に暮らしていく予定だ」と、震災を機に故郷を離れる選択をした方。
「生まれ育った穴水を離れる気はない。子どもたちは東京に行ってしまって、帰ってこないしなあ。自分らがいなくなったら、ここは空き家になる」と、家の修理をしながら話してくれた70代夫婦。
「仮設住宅にしても、公費解体にしても、どんなスケジュールで進んでいくのか読めない。今後のことは考えられない」と話す方など…
家屋も心身も、一人ひとり状況は異なり、先が見えない中で今後の選択を迫られる。ショック、落胆、衝撃、恐怖、不安を抱えながらも、日常に戻るため進み続けなければならない…。
◆足湯ボランティア
今回初めて足湯ボランティアを経験した。避難所で足湯+ハンドマッサージをするボランティアだが、目的は「つぶやきを聞き取る」こと。固定化する人間関係や、息苦しい避難所生活に、よそ者ボランティアにだからこそ気兼ねなく話せることがあるようだ。
やってみるまで少しドキドキだった。見ず知らずの自分にお話してくれるかな。いざやってみると、足湯のあたたかさでお互いにぐっと心がほぐれる感じがした。仕事のこと、子どものこと、今の暮らしのことなどざっくばらんにお話した。「今感じていることに耳を傾けてくれた」という存在として、少しでも心に残ってもらえたらいいなと感じた。
入浴は避難所や交通手段によってさまざま。1日おきのシャワーだったり、自衛隊のお風呂テントに並んで入りに行ったり、お風呂がある避難所へ行ったり。在宅避難の方は井戸水を沸かしている方もいた。
◆避難所格差
活動中、「避難所格差」という言葉を聞いた。道路の復旧状況や、避難所の立地場所などによって支援が行き届きにくい地域がある。また、そもそも人が少ない過疎地域では自治体職員の数も少なく、自ら被災していることも稀ではない。外部からの支援者を受け入れる体制づくりにも差がある。毎日炊き出しがあり、水道が復旧した場所もあれば、レトルト食品とトイレトラックでしのいでいる場所もある。自分もいくつかの避難所で活動させてもらったが、発災から同じ時が経過しているはずなのに、その差を目の当たりにするとショックだった。
◆おわりに
栃木に帰ってきて、今回の活動は終わったが、現地で話したたくさんの人の顔が思い浮かぶ。ボランティアにはできることとできないことがあるが、思考停止せずに少しずつでもできることを積み重ねることが重要だと感じた。
RSYのスタッフは「『今まで頑張ってきたから、まだ我慢できる』と、支援を拒んだり家族だけで何とかしようと、結果的に自分たちを苦しめる判断をしてしまう方への懸念がある」と話していた。現地で話した方の中には、一見元気に見える方もいたが、その心のうちは計り知れない。今後生まれてくる困りごとにも伴走して支えていく存在が必要だと学んだ。(ミ)