令和元年台風第 19 号

栃木県宇都宮市における

田川流域の避難行動・生活復興調査 


2019年10月水害(宇都宮・田川付近)調査報告書ができました。2020年2月に実施したアンケートでは448件・763人の皆さんからご協力いただきました。ありがとうございます。全編170ページなので、概要版(16P)と各章ごとに分けたものも公開します。

・トピック①:時間×地点ごとの浸水状況がわかります。

・トピック②:実際の避難行動はどうしたのか

・トピック③:自家用車の被害地点、家屋修理費用(出費)も

今後水害に備えて、現実的な避難場所の検討も必要だとおもいます。自治会等で検討する参考にしていただければ幸いです。 


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16ページ 報告書(概要版)
20210203_報告書(概要版).pdf
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15ページ 0章 目次等
20210203_報告書(本編版).pdf
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10ページ 1章 令和元年台風第 19 号の概要(全国)
01_報告書(第1章).pdf
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14ページ 2章 令和元年台風第 19 号の概要(栃木県)
02_報告書(第2章).pdf
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12ページ 3章  令和元年台風第 19 号の概要(宇都宮市)
03_報告書(第3章).pdf
PDFファイル 1.6 MB
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66ページ 4章  被災地域における避難行動・生活復興状況
04_報告書(第4章).pdf
PDFファイル 8.3 MB
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8ページ 5章 災害対応・被者支援方策の検討(提言)
05_報告書(第5章).pdf
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20ページ 6章  被災者支援と 災害写真 記録収集の取り組み
06_報告書(第6章).pdf
PDFファイル 5.0 MB
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31ページ 付録 調査票・基礎集計
07_報告書(付録).pdf
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県内全体:情報サイト

  がんばろう栃木!復興ネットワークhttps://ganbarotochigi.sakura.ne.jp/ga/

(栃木・佐野・宇都宮・那須烏山・鹿沼)

暮らし復興支援センター

復興DIYセンター=日本財団助成)

宇都宮市塙田2-5-1 共生ビル3F 

とちぎVネット内 電話080-3505-817(火曜定休10-17時)

 

●田川の水害で被災した家屋の片付け、生活の復興支援のボランティアをしています。

●DIYセンター(自分で家を補修)したい人)に工具、機材、車をお貸しします。

●毎週金曜は [子ども食堂/地域食堂] 災害後の地域づくりも応援します。



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工具カタログ.pdf
PDFファイル 5.0 MB

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取扱説明書_インパクト10.8V.pdf
PDFファイル 9.7 MB
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取扱説明書_インパクト18V.pdf
PDFファイル 9.7 MB
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取扱説明書_ボードカッタ.pdf
PDFファイル 16.2 MB

災害DIYセンター

軽トラック・軽バンの貸し出し

災害がれき・家財等の運び出し、資材の運搬などの用途にご利用ください。

詳しく見る

●工具・機材の貸し出し
浸水被害にあった家屋や敷地の泥だし・洗浄・乾燥や、修繕などの用途にご利用ください。

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●家屋の応急処置の相談や講習会の開催
専門知識を持った技術系災害ボランティアや地元建築士の方々による、各種相談や講習会を行っています。

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取扱説明書_マルチツール.pdf
PDFファイル 17.2 MB
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取扱説明書_ランダムオービットサンダ.pdf
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取扱説明書_電動ハンマ.pdf
PDFファイル 17.8 MB
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取扱説明書_充電式丸ノコ.pdf
PDFファイル 16.0 MB


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災害ブログ

【能登ボラふり返り】 惨事便乗の復興

 12/28、今年最後の能登ボラだった。いつもお世話になっている町野町金蔵地区で餅つき。住民の皆さん20人位と栃ボラ17人。

 

集落95人中、13人残り。他は2次避難

 

 金蔵集落は元は53軒95人の山上の集落。室町時代から溜池で、天水のみで36町の棚田を作ってきた。1/1の地震で全壊・半壊家屋35件と棚田の亀裂、町野への道路不通、11個あった溜池は3つ残して使えなくなった。今年の作付けは5反しかてきなくなった。

 

「戻って来たい人が戻れるように」が集落(コミュニティ)の基本。

 

 2月下旬ここに初めて来たとき区長の井池さんは、仮設住宅を集落内に作ることを市に要望していた。断水で、集落に残っているのは13人だけ、市の炊き出しは毎日1回の弁当配布がやっとはじまった頃だった。隣の地区は全村避難をしていたが金蔵はそうしなかった。「集落は人がいることで維持される、戻りたい人が戻って来られるようにするのが大切」という。コミュニティを壊さない、を教訓にしてきたのが阪神淡路大震災からの30年だった。

 

仮設も集落外、復興住宅も集落外。コミュニティが壊される

 

 区長さんたちは「旧金蔵小跡地を仮設住宅用地に」と地権者に交渉し、条件整備して市と交渉したが、輪島市は町野町中心地域に仮設を2か所作った。

 6月、仮設ができはじめ集落に人が戻ってきた。金蔵は66人になった。といっても、うち21人は6キロ離れた仮設に住んでいる。

 9/21能登豪雨。地震で崩れ亀裂がはいっていた山は、立木ごと崩れ小河川の橋を塞ぎ平地の町野は大水害になった。仮設のある町野地区と金蔵は地震のときの3倍の山崩れで再び通行不能。断水と通信不能、さらに残った溜池3つも決壊した。

 10月「復興住宅を金蔵に」と要望したものの、またも市は町野町中心地区に建てるという。「住民には一度も意見をきくこともなく」と区長さん。

 

ショックドクトリン! 惨事便乗政策。…反対署名募集中!!

 

 何故こんなに頑ななのかと聞くと「コンパクトシティ構想」が財務省、総務省・国土交通省にあるからで、1軒の家のために道路維持し電気通すのは無駄、過疎地域は切り捨てていくという国の発想=政策がある。これでは財政力の弱い過疎地域の自治体はしたがわざるを得ない。

 これはショック・ドクトリン(惨事便乗政策)だろう。

 物言わぬ風土の能登の高齢者。山紫水明の地、棚田や集落の人と離れてそう長く元気でいられないだろう。6キロはいつでも行ける距離ではない。足で歩く畑に出る顔見知りと話すという日常を取り戻すのが田舎の復興の基本だ。国の都合でコミュニティ壊すのはやめてほしい。

 金蔵集落の人たちは要望書の署名を集めている。もちろん栃木のボランティアもみんなで署名した。

 復興住宅の「復興」とは何かが、問われている。(矢野正広)

能登ボラふり返り。17年ペーパードライバーの私が一番変化したかも

無力を痛感。「スマホと運転だ」
 最初に能登を訪れたのは2024年3月末。災害ボランティアへの参加は初めてでした。活動内容は「家の片付け」「災害ゴミの分別」「炊き出し」「足湯」「御用聞き」など多岐にわたり、参加者は見知らぬ土地でスマホのナビを使い、現地で借りた車を運転して活動場所へ移動していました。しかし当時の私はスマホを持っておらず、ペーパードライバー(17年!)でもあったため、後部座席に座ったまま現地に到着し、作業を手伝うことしかできませんでした。
 帰宅後、自分の無力さを痛感し、「年内にスマホを購入し、車を運転できるようになる」という目標を掲げました。翌4月には2度目の参加を申し込み、それまでにスマホを購入しました。前回、被災者から災害ゴミの捨て方について質問を受けた経験を踏まえ、今回は市町ごとの分別ルールや運搬方法を調査しました。例えば、「道路沿いに分別して置けば業者が回収する地域」や「仮置き場まで自ら運ぶ必要がある地域」、さらには「特定の日にしか捨てられない地域」など、地域ごとに異なる規定があることが分かりました。ルールを守らなければ業者が回収せず、被災者が後処理を担わされるリスクもあるため、ボランティア側が主体的に情報を集め、対応することの重要性を感じました。
 
 チームのコーディネートも、ハイエースの運転もした
 その後も5月、6月と月1回のペースで能登を訪れ、活動を続けました。この頃、Vネットで人手が足りないと聞き、調整役であるコーディネーターを任されることになりました。協力団体との連絡、タイムスケジュールの管理、初参加者への配慮など、多岐にわたる業務の大変さを実感しました。震災から半年が経とうとしていましたが、まだ手つかずの家も多く、室内に繁殖したカビが印象に残っています。
 7月の転職を機に、しばらく能登へ行けない時期が続きましたが、その間に車を運転する準備を進めました。そして12月末、半年ぶりに能登を訪れました。今回は宇都宮~能登間の一部区間で車(ハイエース)を運転し、現地では車を使用して物資の調達・資材運搬などの手伝いもできました。少しでも皆さんの役に立てたと思うと嬉しかったです。
 久しぶりに訪れた能登は、海岸沿いの迂回路が整備され、仮設住宅が完成しているなど、復旧の進展を感じさせる一方、9月の水害でさらに被害を受けた場所もありました。
 この1年は私にとって大きな変化の年でした。そのきっかけを与えてくれた能登と、そこで出会った方々に感謝しています。これからも時間を作って能登を訪れ、少しでも復旧・復興に貢献できればと思っています。(内藤隆夫)