2019年10月水害(宇都宮・田川付近)調査報告書ができました。2020年2月に実施したアンケートでは448件・763人の皆さんからご協力いただきました。ありがとうございます。全編170ページなので、概要版(16P)と各章ごとに分けたものも公開します。
・トピック①:時間×地点ごとの浸水状況がわかります。
・トピック②:実際の避難行動はどうしたのか
・トピック③:自家用車の被害地点、家屋修理費用(出費)も
今後水害に備えて、現実的な避難場所の検討も必要だとおもいます。自治会等で検討する参考にしていただければ幸いです。
宇都宮市塙田2-5-1 共生ビル3F
とちぎVネット内 電話080-3505-817(火曜定休10-17時)
●田川の水害で被災した家屋の片付け、生活の復興支援のボランティアをしています。
●DIYセンター(自分で家を補修)したい人)に工具、機材、車をお貸しします。
●毎週金曜は [子ども食堂/地域食堂] 災害後の地域づくりも応援します。
10,000棟の床上浸水。ボランティア10万人を支える募金
地域の復興を支援します。
第1回助成金の公募が開始しました。
1月10日から1月12日にかけて能登のボランティアに参加し、能登半島北部の町野地区、金蔵地区、南志見地区に行ってきました。輪島市の中心市街地から車で40分ほど離れた山間地域で、昨年9月の豪雨による被害も受けた地域です。今回は仮設住宅に住まわれている方々と二地区で復興活動に取り組まれている方々にお会いし、様々なお話や思いをうかがいましたのでこの場で共有させていただきます。
1K4畳の仮設に2人。押入れに寝ている
町野地区にある仮設住宅では60代の女性にお話を伺いました。お母様と2人で1K4畳半の部屋に豪雨災害の後から3か月以上住んでいます。お母様はダンボールベッドに、娘さんは押入れに布団を敷いて寝ていました。被害に遭った家は現在工事待ちだそうですが、大工さんの人手不足などの問題から、なかなか工事開始の目処がまだ見えていないそうです。「外は寒く、部屋の中で過ごすことが多いが、4畳半はとても狭く、二人で過ごすのは息苦しさを感じる」のだそうです。床冷え対策としてボランティアがマットを敷いており、私もやらせていただきました。
外から来てくれる、だけでエールになる。気に入ったら「Iターン」も
続いて、海沿いの南志見地区で震災前からまちづくり(村おこし)に取り組まれている会社、奥能登元気プロジェクト代表(社長)の奥田和也さんにお話を伺いました。過疎化が進む奥能登地域の人・町・経済を元気にしたいという思いから、農産物・水産物・木材を使い、商品企画・開発から製造までを行うことで多種多様な人たちが知恵を出しながら、新たな創造の場をつくっています。奥田さんはそれだけでなく、地域の施工業者と協力しながら、被災を受けた建物の修繕・再建に携わっています。残りの人生を能登の復興から新しい能登の創造に時間を使いたいという思いで取り組まれており、そうした思いに大変感銘を受けました。そんな奥田さんがこれからの奥能登に必要だと考えるのは「外から来る人の力」だと言います。「地域の人も復興を精一杯頑張っているが〝外部から来てくれる〟それだけで地域の人へのエールとなるし、もしこの地域が気に入れば何か起業するなど、この地域を一緒に創り上げてもらえると嬉しい」とお話していました。
「今年こそ何かして、地区を盛り上げる」
最後に金蔵地区で毎年8月16日に3万本のろうそくで集落を灯す「万燈会」を運営企画している、区長さんたちにお話をうかがいました。金蔵地区の歴史や今まで取り組まれてきたことなど、熱い思いに大変感銘を受けました。地区内の多くの住民は避難している中、区長さんたちはここに残り続け「今年こそ、何か新しい楽しいことをして、金蔵地区を盛り上げたい」と話しています。
今回のボランティアを通して、奥能登では外から来る「よそ者」の力を必要としており、私たちがその「よそ者」となり、現地の人の声を伝えていく役割があるということです。
資材高騰、業者不足。でも「SDGs建築材料」でやりたい!
私は昨年の3月に一度能登を訪れており、そこから10か月たった能登を見てきて、9月の豪雨による被害もあり、道路の復旧や建物の建設工事など復興にまだまだ時間がかかるという印象を受けました。資材高騰や人手不足などの問題を、どのように捉え、新しい突破口を考え、実践していくことが必要です。私は、建築士の見習いという立場ではありますが、たくさんの土砂や、取り壊しの際に出る瓦などを、「処分するもの」ではなく、「地域の貴重な資源」として捉え、ローコストで居心地の良い住まいをつくることができないか、今後考えていきたいと思っています。(村上茉鈴)
#ボラサポ共同募金会
#日本財団
まず今回のボランティア活動に参加したきっかけはとても単純なものでした。最初は友達に誘われて自分は将来建築士になりたいと思っていて、その勉強のためのとても軽い気持ちでボランティアに参加しました。
建築士的興味。仮設という環境の弊害もある
最初のボランティア活動では、仮設住宅にの窓にプチプチをはることでした。季節が冬ということもあって外での活動はなく主に室内で行える作業が主な活動でした。
仮設住宅は簡素なもので窓からくる冷気を防ぐための作業でした。作業をしていく際に、窓全面にプチプチをはりたいという人と「一部分だけはらないでほしい」という人がいました。全面にはりたいという人は「向かいの仮設住宅の人から家の中が見えないほうがいい」という理由で、一部分だけはらないでほしいという人は自分の家があった場所を眺めるのが好きだという理由でした。
やはり、知らない人に家の中を見られるというのはプライバシーの観点からあまりよくないもので仮設住宅の弊害というものを感じました。その次の日には別の仮設住宅の集落に行って、別の仮設住宅の窓にもプチプチを張りました。
昔は全校生徒1000人いたよ。いま40人
その後子供たちの遊びに付き合い、その時におじいちゃんが話しかけてきて、そのおじいちゃんが小学生のころ(70年前)には、小学校の全校生徒が1000人いたという話を聞きました。しかし今では全校生徒が40人ほどという話を聞いて、過疎と災害の影響を特に感じた話でした。
また、子供たちと話していく中で子供はとても正直なので、仮設住宅に住むつらさや普段の生活がとてもつまらなく感じているといった話がありました。しかし、子供たちはとても元気で逆に自分たちが元気をもらったように感じました。
最後に、今だに仮設住宅の生活から抜け出せないのは沢山の理由があると思いました。震災から約一年たった今でも多くの倒壊した建物や傾いた建物があり、それは、この地の気候や、お金がない、現場の人手が足りていないなどの影響もあると思います。それらの大きな問題に対して僕たちのような学生ができることは「ないにも等しい」と考えます。
しかし、ぼくたちのような学生だからこそ被災者の人たちに元気といったものをあげることができると思いました。
能登のみなさん、ボランテイアの皆さん、誘ってくれた倉谷、一緒に行ってくれた伊吹ちゃんありがとうございます。次も予定が空いていたら行きますよ(笑)
高橋直希(佐野日大高校3年)