
丸山さんはずっと浪江町に暮らしていました。地震直後、揺れは大きく、建物が倒壊していて、自身の職場から車を乗り継いで数時間もかけて帰宅したそうです。
3月14日、浪江町は放射線基準値がとても高くなっていて、丸山さん宅に防護服を着た警察が来て「なぜ避難していないのか?」と聞かれ、初めて避難することになったと言います。浪江町を出た後は津島地区、二本松市東和町に移り、最終的に娘がいる首都圏のほうに避難されました。
慣れない避難生活。「家の鍵を渡されて涙がで出た」
避難した丸山さんは娘が暮らしているアパートで一時的に暮らしました。今まで一軒家だったこともあり暮らしがとても大変で、病院やスーパー、役所がどこにあるかわからず不便なことが多かったそうです。福島では車が必須だが、首都圏では電車、バスと徒歩。それが大変だったと言います。しかし、職場は会社の本社が首都圏にあり、転勤扱いで職には困らなかったし、被災者に対するサポートも手厚く、避難から半年でマンションを借りることができ、「鍵を渡された時には涙が止まらなかった」と丸山さんはいいます。
地図からなくなるかもしれない「ふるさと」
ずっと首都圏で暮らしてきたのですが、浪江に家財を取りに行ったり、墓参りにく時に「一時立ち入り」したりします。「自分が暮らしてきた地域に入るために、役所に申請しなければならない」ことが歯がゆく、結果的に浪江町にはなかなか帰れないそうです。今後、浪江町が将来地図からなくなってしまうかもしれず、丸山さんは自分の地域の歴史を残していきたいと話していた。
自分の帰りたい場所に帰れない、ということはとてもつらいことではあるが、自分の地域の歴史を残したいという丸山さんの強い思いにとても共感することができた。
(学生:高松)