「誰かの思いやりが、また他の誰かにつながり、そのつながりが思いやりを生む」と感じた

 

被災地のためになってるように見えない活動

 

 私は2月中に2度、能登のボランティアに参加した。一度めは仮設住宅の集会所で足湯や「まけけないぞう」作り、栃木産いちご400パック配り。二度めはもとやスーパーの片づけとひな人形飾りだった。感じたことを述べたい。

 今回初めての災害ボランティアだった。印象は「意外と小さな活動だな」とか「便利屋のようになんでも引き受けるんだな」だった。ボランティアで被災地を助けよう等と大きく意気込んでいたわけではないが「予想よりも草の根レベルだ」と感じた。また肉体労働というより、被災地の人の身の回りの悩み事を解決したり、足湯や手芸で交流することなので「本当に被災地のためになっているのか」はじめはわからなかった。

 

衣食住の「その後が大変」

 

 しかし、災害から1年たった今の活動は「外部からは気づきにくい問題、政府や自治体の手の届かない問題」が多く残っているとわかった。

 例えば仮設住宅の防寒対策に、カーテンを配ったり、梱包材のプチプチを窓に貼る作業があった。仮設住宅が建設され住居ができたので「問題は解決した」と思えるが、実際は地域の環境に適した家の作りでなかったり、以前のコミュニティ(人間関係)が崩れてしまったりと課題があった。災害が発生すると、衣食住という基本的な部分を整えることにまずは必死になるが、「その後が大変」なのだと実感した。

 そのため、被災者が抱える大小様々な悩みについて、それを聞く人、伝える人、解決する人として継続的にボランティアを行うのはとても重要だとわかった。

 

被災地走る県外ナンバー。「その数だけ味方がいる」と感じていた

 

 また、私は今回のボランティアを終えて「人のつながり」について考えた。というのも、2度目のボランティアで、おばあさんの肩もみをしていた際に「これも何かの縁やわ」と言われたことがとても印象に残っている。

 私は岩手県陸前高田市出身であり、東日本大震災を経験した。当時多くの県外ナンバーの車が走り、その数だけ味方がいるような気がした。そんな経験もあってか、今回私は微力ながら恩返しのつもりでこのボランティアに参加した。このような経緯と現地のおばあさんの言葉をふりかえり、私は誰かの思いやりがまた他の誰かにつながり、そしてそのつながりが思いやりを生むのだと感じた。私は石川県の人に助けられたから石川県に災害ボランティアに行ったのではなく、様々な人に助けられ今があるから、私も誰かに同じことをしたいと思ったのだ。

 

 ボランティアで会った人は「他人とちがうつながり」がある。

 

 また、ボランティアをしなければ関わらなかったであろう人と話すことができた。そのような人たちとは親密にならなくても、2度と会うことがなくても他人とは違う、少しのつながりが生まれる。例えば、どこかで災害が発生したとき、「そういえばあの人は○○県出身だと言っていたな、無事だろうか」と少しでもその人、その場所を気にかけることができるようになる。きれいごとだと言われればそこまでだが、私は今回のボランティアを通じて助け合うことの価値を少し理解できた気がする。(亀井あかり/宇都宮大・学生)

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