能登ボラふり返り。17年ペーパードライバーの私が一番変化したかも

無力を痛感。「スマホと運転だ」
 最初に能登を訪れたのは2024年3月末。災害ボランティアへの参加は初めてでした。活動内容は「家の片付け」「災害ゴミの分別」「炊き出し」「足湯」「御用聞き」など多岐にわたり、参加者は見知らぬ土地でスマホのナビを使い、現地で借りた車を運転して活動場所へ移動していました。しかし当時の私はスマホを持っておらず、ペーパードライバー(17年!)でもあったため、後部座席に座ったまま現地に到着し、作業を手伝うことしかできませんでした。
 帰宅後、自分の無力さを痛感し、「年内にスマホを購入し、車を運転できるようになる」という目標を掲げました。翌4月には2度目の参加を申し込み、それまでにスマホを購入しました。前回、被災者から災害ゴミの捨て方について質問を受けた経験を踏まえ、今回は市町ごとの分別ルールや運搬方法を調査しました。例えば、「道路沿いに分別して置けば業者が回収する地域」や「仮置き場まで自ら運ぶ必要がある地域」、さらには「特定の日にしか捨てられない地域」など、地域ごとに異なる規定があることが分かりました。ルールを守らなければ業者が回収せず、被災者が後処理を担わされるリスクもあるため、ボランティア側が主体的に情報を集め、対応することの重要性を感じました。
 
 チームのコーディネートも、ハイエースの運転もした
 その後も5月、6月と月1回のペースで能登を訪れ、活動を続けました。この頃、Vネットで人手が足りないと聞き、調整役であるコーディネーターを任されることになりました。協力団体との連絡、タイムスケジュールの管理、初参加者への配慮など、多岐にわたる業務の大変さを実感しました。震災から半年が経とうとしていましたが、まだ手つかずの家も多く、室内に繁殖したカビが印象に残っています。
 7月の転職を機に、しばらく能登へ行けない時期が続きましたが、その間に車を運転する準備を進めました。そして12月末、半年ぶりに能登を訪れました。今回は宇都宮~能登間の一部区間で車(ハイエース)を運転し、現地では車を使用して物資の調達・資材運搬などの手伝いもできました。少しでも皆さんの役に立てたと思うと嬉しかったです。
 久しぶりに訪れた能登は、海岸沿いの迂回路が整備され、仮設住宅が完成しているなど、復旧の進展を感じさせる一方、9月の水害でさらに被害を受けた場所もありました。
 この1年は私にとって大きな変化の年でした。そのきっかけを与えてくれた能登と、そこで出会った方々に感謝しています。これからも時間を作って能登を訪れ、少しでも復旧・復興に貢献できればと思っています。(内藤隆夫)