3月「潰れたままの風景」、8月「解体・新築」の兆し、9/21水害!
私が初めて輪島市町野町を訪れたのは3月下旬。地震後3か月近く経つというのに中心部の家々がぺしゃんこに潰れたままの廃墟の風景に衝撃を受けた。その直前に訪れた穴水と違ってボランティアはほとんど見あたらずまるで忘れ去られたかのようだった。
その後町野がどうなっているのか気になり何度か通っている。はじめのうちの印象は「時間が経ってもなんだか変わらない」だった。もちろん色々少しずつ変わってはいるのだが、中心部の潰れた家が毎回目に飛び込んでくるし、水路が壊れて田植えを断念した話を聞き「この先この地域はどうなるのだろう」と不安を感じてしまう。
そんな町野でも、8月に久しぶりに来てみたら前向きな変化を多く感じられた。家屋の解体が始まった。新しくできた木造の仮設住宅で再会した方は避難所暮らしだった時と違って明るく落ち着いた表情になっていた。金蔵集落ではしばらく途絶えていた万灯会という行事を復活できたという。また、地域の名産品となるような果樹を育てたいからビニールハウスを移設したい、という方のお手伝いをして、地元の方の持つ潜在的な力を実感していた。
水2m。「絶望的な光景」の場所の掃除、と商売再開
そうやって少しずつ前に進み始めたような気がしていた所に9月21日の水害が起きた。自分の知る場所が水浸しになり土砂に押しつぶされる様子をTVで見て絶望的な気分になった。更に悲しい事に、増水した川がいつも宿泊していた海楽荘に直撃しご主人が流されたと知った。何もなすすべが無い無力感。私でもこんなに気が塞ぐのに、現地の人はどんなに気落ちしている事だろう。「これはとにかく行ってみなくては」と休みを調整し10月半ばに参加することにした。
もとやスーパーで作業することになった私たちは建物の泥汚れの掃除をした。その日は小さいスペースの仕上げ的な軽めの作業であったが、こびりついた泥はなかなか取れず作業は思ったより時間がかかった。水害後の作業は多くの人手が必要で何人でも短時間でも重宝される。
もとやスーパーではメインの建物は片付け中だが、もう一つの建物が営業開始してペットボトル飲料を販売、隣には支援物資が並んでいた。昼には炊き出し配布の場として大勢の人が集まっていた。今後宿泊スペースを併設する構想が掲げてある。ついこの間2mもの高さまで泥水にのまれたのに良くここまで復活した、と感激して泣きそうになる情景だった。
水が出ない。「2度も続けて災害に遭うなんて、他にこんなとこない」
金蔵集落では足湯カフェをした。みなさん笑顔で「あっさりする」(能登弁:すっきりする)、「来てくれてありがとう」という。今の生活は水が出ないことがかなり不便、そして町野の中心部へ行く道が通行止のため入浴や買い物、水汲みは柳田、南志見など町野町外の地域へ行く方がまだ近い。話していると「前は楽しくやってたのに」「2度も続けて災害に遭うなんて、他にこんなとこない」とぼそっとこぼしていかれる方もいらした。「そうやって抱えている思いを聞きますからどんどん吐き出して行ってください」と思う。
現地1日半の短い滞在で少ししか見ていないが、水害の被害は酷くても頑張っている現地の方々に会えてほっとした。そして何かしらのお手伝いができてよかった。それにもとやスーパーの復活の様子からはこちらが希望と元気をもらった気がする。現地の人は2度の災難に負けずぜひ乗り越えて欲しい。泥出しや片付け作業の人手は当分必要だろう。それに外から人が来てくれることは現地の人には心強いことだと思う。またお手伝いしに行きたい。能登の水害のニュースを見て気になっている人にはぜひ現地に行ってみることを勧めたい。(飯嶋朋子)