過去の世代が作り上げた過ち、起こった事実を伝え続ける責任がある

 8月27日放送の「みんながけっぷちラジオ」では、福島県二本松市で原子力発電事故を経験した門間裕佳さん(20歳)をゲストとしてお迎えした。裕佳さんは自身の被災経験と、それが現在の山形大学工学部での学びにどのように繋つながっているか振り返った。

 

栃木での幼少期の「母子避難かつ自主避難」

幼稚園卒園を目前に控えた頃、裕佳さんは東日本大震災と原発事故に遭った。家族と共に東京に自主避難した後、栃木県に移り住むことになる。当時の記憶は曖昧ではあるが、幼稚園帰りに母親に車に乗るよう急かされて不思議に思ったという。また、毎日通っていた家の近くの裏山に、とても大きくて太い木が倒れていたのをみ見て、不気味に感じたと話す。栃木では親戚の家で過ごし、小学校入学も栃木で迎えた。栃木での学校生活では、学校の敷地内に生えていたキイチゴを休み時間にクラスメイトと食べるなど、楽しい思い出も多くあった。しかし、楽しい思い出の裏には被災者としての苦労もあった。母子避難でかつ自主避難者である裕佳さんのお母さんは、住民票が栃木になく、自主避難は罹災証明もないので避難先自治体ごとに対応がバラバラで、医療費の申請や入学、転居、賃貸契約などの各種の手続きを行うのに多くの困難を感じていたそうだ。裕佳さんも、母親の苦労を間近で感じながら過ごしていた。

 

福島への帰還とカルチャーショック

小学校3年生の夏休みに転校して裕佳さんは再び福島に戻った。しかし、そこで彼女を待っていたのは、周囲との違いによる孤立感だった。栃木での生活に慣れ親しんでいた彼女にとって、福島での新しい環境はカルチャーショックそのものだった。例えば、栃木では先生とため口で話していたのに対し、福島では敬語が当たり前で、こうした文化の違いに戸惑ったという。クラスメイトとも、いわゆる「ノリ」が合わず、当時は栃木に戻りたかったそうだ。そのような中で彼女を支えたのは「本」の存在。心理学の本などを読み、周囲との違いを認めようと努力した。

 

「科学に基づく事実を広めることが必要」

中学時代、裕佳さんは福島でサイエンスアカデミアという化科学クラブに所属する。そこでの活動が科学に対する関心を深め、現在の進路を志すきっかけとなった。サイエンスアカデミアでは、「福島県の放射線とその意識」というテーマで、福島県の農林水産物に対する風評被害の払拭が重要であることを発表し、これが当時の原発事故に対する問題意識を表現する重要な場となった。

現在、山形大学工学部高分子・有機材料工学科で学んでいる裕佳さんは、原発事故に関して「過去の世代が作り上げたものではあるが、その事実を伝え続ける責任がある」と考えている。福島県では放射線に関する授業が行われているが、福島以外の地域ではその機会が減少していることに懸念を示し、基礎的な科学知識の重要性を強調した。被災者の証言だけでなく、科学に基づく「事実」を広めることが必要だという。裕佳さんの経験と学びは原発事故の教訓を未来に伝え、科学技術を通じて社会に貢献しようとする強い意志を映し出している。

今後いま、原子力発電の再稼働が行われているが、氾濫する情報社会の中でのメディアリテラシーと、自分自身で正しい知識をつけ、納得できる根拠で判断する姿勢が必要だと思った。(ラジオ学生やまもと)