住宅は仮設だが、暮らしは仮じゃないぞ。

とちぎボランティアネットワーク「奥能登週末ボランティア〜みんなで運転コース〜」に息子と2人で参加してきました。

長いので

被災地の状況を知りたい方→②へ

ボラ活の感想を知りたい方→③へ

 

あさ4時着 「日本は広い!」

 

①奥能登週末ボランティア活動と流れ

 8/9金曜夜に宇都宮を19:30に出発し、頼もしいドライバー3人(勿論みんなボラ参加者)の交代夜通し運転で、私たちの拠点となった石川県輪島市町野町の集落集会所(公民館)に着いたのは朝4時(日本は広い)。電気とお水は完全に復旧してることがわかり、少しほっとしながら各自で座布団を並べて仮眠。

 8:30頃先に現地入りした人と合流し、簡単な朝ごはん食べながらその日の作業を確認しました。男性4人(息子含む)は、肉体労働チームで高齢者一人暮らしの宅の片付け。女性3人+男性1人は仮設住宅の集会所をお借りして足湯を。

 それぞれ開始するために移動開始。そこで初めてお陽様の下、目に入ってきたのは写真のような光景でした。一階が潰れた古い家屋をあちこちで目にしながら移動し、なんだかんだとトラブルありながらも活動を開始。私は足湯班だったので、仮設住宅を回りながら営業し、来てくれた方にお茶やお菓子を召し上がってもらったり、足湯+マッサージしながらお話を伺ったりしました。途中から肉体労働チームも足湯に合流し、15:30には撤収。

 

 お盆の万燈会(まんとうえ)の手伝いした。瓶洗い2000個。

 

 ピースボート運営のお風呂(ボラは無料)に入って、現地で唯一営業しているスーパーで夕食を調達。公民館でVネット事務局とZoomで反省会をした後に夕食。少しお酒を交えながら、ボラ同士で歓談、畳に座布団を並べて各自就寝。

 8/11朝、簡単な朝食を食べながら作業の確認して、掃除。帰る準備をして近くの正願寺に出発。正願寺で8/15に催される「万燈会」の準備が私たちの任務でした。

 コロナなどで休止した年もあったけれど過去15回開催している「金蔵万燈会」は、町野町金蔵地区5つの寺と地区内で3万個のキャンドルを灯して、ご先祖さまを供養する町をあげてのイベント。今年の正願寺はキャンドル2,000個に縮小して開催するので、その準備のためにみんなで手分けして作業開始。

 ワンカップの空き瓶から古いロウを取り出し→水で洗い→新しいロウソクをセット×70〜80瓶×30ケースが目標。たまにお喋りしながら、みんなで頑張って作業すること2時間半。前日に肉体労働チームが頑張ってくれていたお陰もあり、ほぼ目標だった2,000個達成しました。

 作業後に住職さんにお寺を案内してもらい、欅づくりのお寺がほとんど被害を受けてないことに驚き、またその壮麗さと豪華さに圧倒されながら、この土地(金蔵・かなくら)がいかに豊かだったかに思いを馳せました。

 

月深夜0:20、益子戻! ほのかに幸せ抱え

 

 その後は輪島市街地まで40分移動し、役所で「高速道路の減免措置」書類の印鑑をもらい、震災直後に火災が起きてしまった朝市の…あまり変わってない現状を見ました。美味しいお弁当をゲットして現地解散の方たちと別れ、石川から富山に続く道で汽車(単線の電車)と追いかけっこしたり、穏やかな海を横目に見ながら高速道路に入り宇都宮への帰途につきました。

 帰りも頼もしいドライバーさんが交代で運転してくれて(とんでもなくタフ)、車中で色んな話をしながら宇都宮に到着したのが8/11の23時過ぎ。お疲れ様とありがとう、また会いましょう〜と解散。益子に着いたのは0:20を過ぎていましたが、疲れよりもほのかに幸せな気分を抱えて眠りにつきました

 

足湯つぶやき「仮設がせまく、暑い。先も見えない」

 

②被災地(輪島市町野町)の現状

 足湯の時に聞いたお話のシェアと共に、私の目から見た現状報告を少しします。

◯「お盆が近くなってきたけれど、仮設住宅が狭く、子どもや孫が帰ってこれない」

◯「夫婦だけで仮設にいるが1Kしかないため、夫が寝ていると電気をつけることもはばかられ、狭いキッチンに電気をつけて立って新聞を読んでいる」

◯「田んぼがひび割れてしまったが、家の片付けも終わっておらず、高齢もあり、稲作を諦めた」

◯「仮設には入ったものの、先が見えず、家を再建するにも経済的な負担が大き過ぎて老後が心配」

 (原発避難の)福島もそうでしたが、広くて大きい家屋に住み慣れていた人には、本当に気の毒な小さな仮設住宅は、限られた土地に作られた集合住宅のため、風の抜けるような設計ではなく、とても暑そうでした。

 割り当てられた住宅は、家族の人数が考慮されているとはいえ、部屋数が少なく、このあたりの法整備も"仮設"住宅とはいえ、もう少しどうにかならないものかと思いました。

 能登に入ったら、一般道を走る車がさながらジェットコースターの様に揺れたので(セレナに荷物満載で7人乗りの3列目に乗っていたので)、眠い頭でなんだろうと思っていました(夜中で暗くてよくわからなかった)

 先輩ボラさんに聞いたら、道路の亀裂を応急処置的に補修したために道路に沢山の凸凹ができているのが原因だったとわかり、地震の強さと規模がいかに大きかったことがわかりました。また、発災から半年以上も経つのに未だに倒壊した家屋がそのままにされていて、その数の多さに驚かされました(倒壊した、ではなく、倒壊した住宅がそのままにされていること、が問題)

 あまり復興が進んでいないことは、今回現地に行って改めて感じました(控えめな表現)。個人の力ではどうにもならないと思いました。 お年寄りじゃなくても途方に暮れてしまう程の大きな被害を、個人個人が負っていること、またそれを支援する力が(マンパワーも公的な支援もボランティアも)圧倒的に足りていないと感じました。

 

ボランティアの積み重ねが復興支援かも

 

【③ボラ活動してみての感想】

 今回のボランティア、私たち親子以外は皆さん1人参加のリピーターだったので、みんな小さな指示がなくてもサッサと作業をこなせる人ばかりでした(これは結構すごいことかもしれない)。そんな人たちが震災直後から何度も何度も現地に足を運んでいたため、現地の方から受け入れてもらってるんだな、と思う場面が沢山ありました。("はずかしがりや"の女の子が、ずっと足湯の場で遊んでいた)。これは、今回のボラさん含めた先輩ボラさんたちがコツコツと地道に作業をして、積み重さねてできた信頼があったからこそで、それに気づくことができたのもまた、先輩ボラさんからのお話でした。

 それにしても能登弁のやさしい響きよ。土地柄とお人柄があらわれてて、大好きになってしまった。関西弁っぽいけど、もっと柔らかい感じで男性が話しても、女性が話しても、どことなく品がいい。東北弁に近いのかなぁ、温かさと柔らかさがあるんですよね。今回のボラを引っ張ってくれたTさんは、東京在住・能登出身。能登に入ってからどんどん能登弁が出てきた彼は息子に気を使ってくれたのか、話しかけてくれたり、色々と教えてくれました。子どもにとって、親と先生以外の大人と関わりを持つことは、とても大事なことだと思ってるので、ありがたかった。あんまり社交的ではない(わりにシャイ)な息子も思ったより頑張ってくれたので、母はちょっと息子の成長を感じました(感動するほどじゃないけど)

 今回一緒に活動したボラさんから、私も色々教わり、何よりも勝手に励まされました。まだまだこういう力が、市井を生きる人々に残っていることに、とてつもなく勇気をもらいました。

 現代日本人、捨てたもんじゃない。

 私たち、"災害ユートピア"ちゃんとあります、作れます。

 その力を持っています。

 また時間を作って能登に行きたいと思います。ここまで長い文章読んでくれた貴方も、ありがとうございました。南海トラフを煽り虎視眈々と独裁国家を狙う政府なんか、蹴散らしてやりましょー

 

【奥能登週末ボランティア】まだまだ募集中!

https://www.tochigivnet.com/%E7%81%BD%E5%AE%B3%E6%95%91.../

【金蔵万燈会】

https://www.pref.ishikawa.lg.jp/movie/page/0422.html