市民の手で行われる続く甲状腺検査。その裏には「拭いきれない母の不安」

528日「次世代に伝える。原発避難13年目ラジオ」。ゲストに「子どもの未来を考える会ハチドリ」から井田紫衣さん、「関東子ども健康調査支援基金」から木本さゆりさんを迎え、原発事故後の市民活動の話を聞いた。

 

自分の子どもだけじゃない。地域の子どもを地域で守る

 木本さんは、震災・原発事故当時から千葉県松戸市に夫、子ども二人で暮らしていた。2011312日以降の原発事故の状況を見ると、かつてチェルノブイリ原発事故で子どもの甲状腺がんが多発したこと、汚染地域では遺伝子を破壊されたたんぽぽが巨大に咲くことが思い起こされた。また、323日には市内の金松浄水場で基準値を超えた放射性ヨウ素が検出されたため「乳幼児は水道水を飲まないように」と防災無線で警告され、母親たちは必死に水を買い求めた。その後ニュースで「母乳から放射性ヨウ素が検出された」と知り、木本さんは即座に避難しなかったことを悔やんだ。子どもに避難を提案すると、「友達と一緒じゃなきゃ嫌だ」と言われ、「自分の子どもだけ守るのでは子どもは幸せになれない」と知り、地域の子どもたちごと、地域で守らなきゃいけないと決意した。

 関東子ども調査基金では、土壌調査を実施。結果、子どもたちの足元の土が放射線管理区域並みに汚染されたと分かり、自治体や国に健康調査の依頼をしたが受け入れてもらえなかった。ならば、自分たちで何とかしようと立ち上がった。ボランティアの医者と市民団体が土日に「甲状腺のエコー検査」を行っていて、関東一都6県全部を年に一度回っている。

 

「原発事故は他人事ではなかった」。母としての後悔

井田さんは震災当時、矢板にいた。津波の被害を報道で知って衝撃を受けたが、原発事故に対して怖いと感じることはなかった。しかし2012年に矢板市が「放射性物質の最終処分場」の候補地に挙がった時、初めて原発事故を自分事に感じた。そこで、友人の紹介で「放射能から子どもを守る会・塩谷」に参加するようになった。そして原発事故の重大性や、放射性プルーム(放射性物質を含む雲)が来ていたことを知らずに、当時高校生の娘を外の給水の列に並ばせてしまったことを後悔し、何かしなければならないと奮い立った。

子どもの未来を考える会ハチドリでも、2014年から関東子ども健康調査基金と一緒に甲状腺エコー検査を行っている。今年98日に宇都宮市、1026日に那須塩原市、27日に矢板市と各会場で甲状腺エコー検査を行う予定だ。また、2013年には政府に市民の意見を届けるために、3人の議員を招いて「原発と放射能を考える座談会」を開催したり、座談会、お茶会、勉強会なども行ったりしている。

 

「核と人間の共存できない」

 震災・原発事故から13年が経った今、当時はまだ幼かった子が、大学生になり、甲状腺検査を知らなかった230代が自分で検査を申し込むことが増えた。放射性物質は目に見えない。だから甲状腺検査は、「甲状腺ガン」が見つかった人も、何もなかった人にとっても「受けて良かった」と思えるものだ。二人はそのような声を聞くと意義のある活動だと感じている。

 しかし同時に、核と人間は共存できないと強く実感した。もう一度原発事故が起こり、再びこのような活動をすることを繰り返したくない。だからこそ、原発と核の断絶のために声を上げ続けなければならないという。また、他の社会問題にも目を向けられるようになった。

これからも大切な人たちと生きていきたいという思いがあるなら、自分たちの手で未来を選ぶことができる。そのためには、自分で考えること、情報を取りに行くこと、裁判、投票、市民活動など、一人一人が出来できることを模索し、行動する必要がある。

(ラジオ学生 立花)