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1/23 避難者の人が何でも話せる居場所を作りたい

1月23日のゲストは、原発避難者であり同時に「栃木避難者母の会」を運営する大山香さん。震災当時、福島市に住んでいたが、半年後の201110月に宇都宮市に避難した。その後、「とちぎ暮らし応援会」の訪問員として1年間活動。そして2013年には、避難者同士の交流会の場を作りたいという思いから「母の会」を自ら立ち上げた。「母の会」の違いや活動での気づきに関して話を聞いた。

 

「怒り」「孤立感」「喪失感」気持ちを吐き出す場が必要

「応援会」の訪問員としての活動は、2人ペアで1日数件の避難者の家を訪ねることである。大山さんが始めた理由は、孤立感、喪失感といった自分たち(当事者)にしか分からない気持ちや持って行き場のない怒りを共有したかったからだ。「母の会」をつくったのも同じ理由。当事者目線の団体を作ることで避難者が何でも話せる場を作りたかったからである。

「応援会」の課題は、避難者の声を直接行政の施策に生かすことができないことだった。例えば、交流会に集まるのは県職員ばかりで、団体の方針は避難者でない理事が決定する。また「心に傷を抱えた人がいればカウンセラーを紹介する」といったように避難差者と支援先のパイプラインになることであり、避難者を直接的に支援することではなかった。

 

団体を支える国に対する葛藤

「母の会」を立ち上げてみて、大山さんは国に対して様々な思いを抱き始める。「国から助成金(委託金)をもらっているのに、原発事故に関して国に文句を言っても良いのか」という葛藤。また助成金の使い道に対する違和感だ。最近は、「福島のお金は、福島を出ていった人ではなく、福島に戻ってきた人のために使う傾向になってきている。岡山県の避難者を支援している地元団体は福島県からの助成が打ち切られた。また「慰め・お茶会・旅行」には助成金が支出されるが「原発事故に関する問題の追求」には支出されない。

 

悲しいことがある中でも「未来に向かって」

 最後に、次世代の人に伝えたいことを聞くと、「自分は何もできないという無力感を抱えるのはみんな同じであり、悲しいことがある中でも希望を紡ぎ出していかなければならない」と語っていた。大山さんは、過去から目をそむけずに原発事故の本質的な部分と向き合い続けてきている。復興の本当の意味とは、にぎわいを見せるために新しく何かを築くのではなく、過去の問題と真摯に向き合っていくことであるということを学んだ。