自主避難をするもしないも大きな決断。自主避難をして得た新たな価値観

l   l   原発事故後の同調圧力に嫌悪感。空気を読んでいては身を守れない

 425日の「次世代に伝える。原発避難12年目ラジオ」では福島市から宇都宮市へ自主避難した大山香(おおやまかおり)さんをゲストにお迎えした。大山さんは原発事故当時福島市にいた。福島市は強制避難範囲外ではあったものの、放射線量値は高く家のベランダは当時5µSv/(マイクロシーベルト/)※①だったという。しかし、テレビでは避難範囲外であれば避難しなくて大丈夫だ、とまるでなにも危険ではないかのように放送されていた。大山さんは日本人の「空気を読む性格」や「暗黙の了解」、「同調圧力」を強く感じたという。地元である福島にでさえ「嫌悪感」を抱いた。このままでは子供が危険におかされるだけ、将来子供がどのような目に合うかわからない、そんな不安から築7年のマイホームを福島に残して自主避難を決意した。

l   自主避難先の宇都宮、市民権を得られない

 自主避難先の宇都宮では、自分のアイデンティティについて悩んだという。自分は「福島県民なのか」「避難民を名乗ってよいのか」という罪悪感にかられたという。自主避難を決断することは福島県を裏切ることと全く同じではない。しかし当時は「福島県を裏切った感覚」があったという。かといって宇都宮市民でもない。自分の中での市民権が得られなかったという。

 宇都宮では「みなし仮設住宅」に住んだ。これは原発事故で避難をする人々に対し、政府が民間の賃貸住宅を「仮設住宅とみなして」、支援金を給付する仕組みである。しかし借りられる期間は決まっており(通常2年)期間が過ぎた後の不安などは多かった。みなし仮設住宅に過ぎないから、福島のマイホームに比べると小さくて窮屈だった。自主避難の決断は良かったのか、苦悩の日々だったという。

l   人には一人一人「誇り」と「アイデンティティ」がある

 原発事故後、自主避難者にもみなし仮設住宅が認められ、住宅に関しては国からも給付金が出ていた。これだけ耳にすると「国は強制避難者だけでなく、自主避難者にまで給付金を認めていてすばらしい」ように見える。しかし、避難先の宇都宮で平穏に生活できることが、事故前の福島での生活と同じ価値には絶対にならない。我々の「本当に何気ない日常生活」はプライベートな空間であり、一人一人が誇りを持っている。この何気ない日常は理屈さえ通っていればよいわけではなく、お金で解決できるものではない。しかし、「お金で解決する」政府の政策はそのような避難者の一部ともいえるような価値あるものを破壊しているのだ。

 大山さんは自主避難後「人間とはなにか」について何度も考えさせられたという。「人は見た目に振り回されるけれど、見えないものこそが本当に大切」だと語る。我々は「世間体」を気にして社会ではなく世間に合わせて生きている。世間に合わせると「自分」はなくなる。「自主避難」という選択をしたことで、初めて人間として生きた心地がしたという。これからの未来を担う若者たちには「良い意味で空気を読まずにいろいろなことに挑戦してほしい」と語った。

※注①:µSv/h(マイクロ・シーベルト/時)は1時間当たりの放射線量で、5×24時間×365日=43,800µSv43.8mSv/年(43.8ミリシーベルト/年)となる。年間1ミリシーベルト(mSv)が成人の放射線許容量なので、許容量の43倍であった。