浪江と宇都宮の2地域居住。「人が戻らない」
5月30日の「次世代に伝える。原発避難12年目ラジオ」では、福島県浪江町から避難し現在宇都宮市在住の佐々木茂夫さんにお話を聞いた。佐々木さんは原発事故後、横浜の姉のもとへ避難した。その後宇都宮市に避難するも、同時に実家のある浪江町に足を運ぶ、2地域居住をしている。福島では双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館の「語り部ボランティア」もしている。浪江町藤橋地区は6年前の2017年3月11日に警戒区域解除をうけたが、避難先での生活に慣れた多くの人は地元に戻らず、新天地での安定した生活を求める。だから佐々木さんの知り合いも栃木に多く避難しており、宇都宮に家を建てた。佐々木さんは今回、自身の避難の体験を通して、災害関連死の深刻さと日本の避難場所のあり方について話してくださった。
l 浪江だけで、災害関連死442人! 津波死の2.5倍‼
災害関連死とは、災害による直接的な事故死ではなく、災害による負傷や避難行動、避難生活による疾病悪化が原因で死亡することである。佐々木さんの地元である浪江町は東日本大震災による直接死(津波)が182人であるのに対し、東日本大震災(地震・津波)及び原発事故災害による災害関連死は442人であった。直接死より災害関連死のほうが多い。また、福島県の災害関連死は2335人。同様に津波の被害があった宮城県(931人)や岩手県(470人)よりもはるかに多かった。福島県と宮城県・岩手県の違いは原発事故である。つまり原発事故による災害関連死は深刻なものであるとわかる。
これが現状なのだが、多くの人は直接死のほうが多いと思っているだろう。なぜならメディアは避難所の実態は報道せず、視覚的に衝撃を与える津波の映像ばかりを取り上げるからである。佐々木さんは自分自身が避難者として避難所生活を強いられ、避難所の現実を見て何とかしなければならないと感じた。
「T・K・B・48」が避難場所には必須!
佐々木さんが見た避難所生活は悲惨だった。3月上旬、冷たい床に段ボールや新聞を引き、夜を過ごした。老若男女だけでなく病気の人、慢性疾患、自宅で寝たきりだった人、妊婦、障害者、乳児…もいる。食事はおにぎりやパンなどの簡単なもの、冷たい、出来合いのもの。自分の薬もない。プライベートな空間などは全くなく、体力的にも精神的にもストレスフルな環境であった。
災害関連死は2011年の東日本大震災及び原発事故に限って起こるものではない。避難中の死なので日本全国で起こりえるのである。しかし一方で、日本人は本当に災害に備えられているのだろうか? 指定避難場所は本当に避難する場所にふさわしいのだろうか? トイレは整っているのだろうか?更衣室はあるのだろうか?授乳室はあるのだろうか。
佐々木さんは「48時間以内に、清潔で安全なトイレ(T)、温かい食事を提供する台所(K)、雑魚寝を防ぐベッド(B)、つまりTKB48が避難場所には必要である」という。現実にこれを実現できる避難場所が全国にいくつあるのだろうか。災害大国日本に住む私たちにとってこの考え方は重要だと思った。