○「何日間か泊まらせてほしい」。避難家族も泊めた
1月9日の「原発避難10年目ラジオ」では、 福島県川内(かわうち)村から栃木市に避難した遠藤雄子 (えんどう ゆうこ)さんからお話を聞いた。
その日、遠藤さんは畑に植えていた木の枝の刈り取りをしていた。すると途端に、木の枝に積もっていた雪がポタポタと落ちはじめたことに気づく。「何かがおかしいな」と感じた瞬間、100m先に見えていた自宅が、壊れてしまうのではないかと思う程に大きく揺れているのが分かった。家に帰りテレビをつけると、信じられない程に大きな津波が海沿いの街を襲っていた。
何もかもが混乱状態のまま迎えた翌朝、家の前の一本道が、避難所に向かう多くの車で渋滞していた。水をください」、「トイレを貸してください」と言って家に訪れる人が何人もいた。なかには、「何日間か泊まらせてほしい」と言われ、家族全員を泊めたこともあった。食材や布団、こたつなどを用意し、手厚くもてなした。遠藤さんの底知れないあたたかさに心を打たれた。
○「避難で落ちぶれる」間もなく、次々と挑戦!
原発事故が発生し川内村も避難を余儀なくされ、栃木市にある旦那さんの親戚の家に避難した。新しい土地での生活が始まってまもない3月26日、遠藤さんは散歩中に偶然通りかかった野菜直売所で、アルバイトを始めた。「こういう所って働けるのですか」と従業員に直談判した。さらにその後、ホームヘルパーの2級免許を取得しようと専門学校に通ったという。地元を離れ元の生活を手放し大変な状況にもかかわらず、さまざまなことに挑戦し続ける遠藤さんの打たれ強さと活力に非常に驚いた。
○役場避難所にTシャツ100枚寄付。「自分より他の人の方が辛いだろう」と。
マラソンが大好きだった遠藤さん夫婦は多くのマラソンイベントに参加していた。貰ったマラソン用のTシャツが100枚近くもあり、その全てを川内村の仮設役場に寄贈した。当時、衣服が十分になく困っている被災者がたくさんいたのだ。なぜ寄付しようと思ったのかと尋ねると、「自分より他の人の方が辛いだろう」と感じたからという。自主避難を強いられた遠藤さん自身も辛い状況であったと思うが、そんな中でも「人のために行動しよう」と思い立った遠藤さんの優しさに感動した。
○「自分から行動することが大事」。「幸せは自分に帰ってくる」
最後にラジオを通して伝えたいことを尋ねると「自分から行動することが大事」、「ゆっくりで良いから、できることを精一杯努力する。やれば必ずできるから」と話していた。大変な状況であっても、誰かの支援を待つだけではなく、自分からさまざまなことに取り組んだ遠藤さんの力強いメッセージであった。また、「避難当時は自分が支えられる立場だったが、今は自分が支えたい。幸せは自分に返ってくる」と話していた。原発避難で困っている人は、11年経った今でもたくさんいる。そんな人がゼロになるまで、精一杯できることをしていきたいと思った。(櫻井)