· 

「避難先での暮らしは、生活が再建されているようで、実は心と身体が別々」。まだ終わっていない震災

放送5回目となった10月10日の「次世代に伝える。原発避難10年目ラジオ」これまでは”被災者”をゲストに迎えていたが、今回は “支援者”である山本悦子さんと澤上幸子さんの2人からお話を聞いた。 

◆ ◆ ◆

 山本さんは小山市にあるCafe Fujiのオーナー。原発事故後に南相馬市を訪れ、その現状に衝撃を受けたという。これをきっかけに支援活動を始めた。活動は大きく分けて4つ。

 まず、『3.11ふくしまそうまの子どもの描くたいせつな絵展』プロジェクト。相馬市立中村第二小学校の生徒(当時3年生)に描いてもらった絵を小山市内22か所で展示した。中村第二小は山本さんが原発後初めて福島を訪れた小学校だ。2つめは「おはなしとオカリナのしらべ」。オカリナ演奏をB G Mに中村第二小の校長だった佐藤史生さんのお話を聞く講演会だ。3つめは「版画家 蟹江杏さんチャリティー版画展」。最後は「東日本大震災遺児募金への寄付」である。これは、山本さんが経営するギャラリーAiでバザーをし、知人手作の布ぞうりを販売、遺児へのお金を募った。ラジオでは特に『3.11ふくしまそうまの子どもの描くたいせつな絵展』の話を聞いた。

 

被災しなかった人に向けての支援活動

 展示会で得られた効果は2つある。まず、展示された絵を見ることで被災していない人に震災を知ってもらえること。子供が描く絵はとても素直で見た人に真っ直ぐ訴えかけてくる。心動かされる。もう1つは、絵を描くことで子供たちの心に安らぎをもたらすこと。実際に子供たちに描いていた時の気持ちを尋ねてみると、「津波の怖さを伝えたかった」「胸にしまっていた海や津波の絵を描きスッキリした」と、誰かに自分の見たもの・感じたことを伝えたい、吐露したいといった率直な思いがあったという。しかし、いくら子供たちに絵を描いてもらい展示会をしても、被災しなかった人が見向きもしなかったら意味がない。知り、そこで足を運ぶ人がいること。私たちが周囲に関心を持ち、実際に行動する力が求められているのだ。実際に現地へ行けば、山本さんと同じように支援活動を行う人も少なくないはずだ。現地ではない場所からの支援活動は、災害を様々な人に認知してもらうきっかけづくりにもなる。

◆ ◆ ◆

 番組の最中、電話でインタビューした澤上幸子さんは北村さんの元同僚。当時双葉町の社会福祉協議会に勤めていた。原発事故後1週間経たずして故郷の愛媛へ避難し、現在はN P O法人「えひめ311」の事務局長だ。活動は「避難者(愛媛県+四国全域)の相談窓口・情報提供」、「避難者の交流の場」、「愛媛特産の柑橘類等の販売や、放射能の心配をせずリフレッシュできるような保養支援」の3つの被災者支援活動である。「避難者の交流の場」に関しては、近年コロナの影響で交流は激減したが、今でも電話、Zoom、手紙などで交流は途絶えないよう活動している。

 

●あえての「何気ない日常的な会話」が、心に安らぎをもたらす

 支援活動で大切にしていることは、『一人一人の心に寄り添い、共に課題を解決していく』という思いである。四国に避難している人自体少ないため、地域に馴染めず孤独を感じてしまう人もいる。そこで、当事者同士でしかできない震災の話だけでなく、何気ない日常会話などを通じて誰も孤立をしないような支援を心がけているという。これを生かし、地元で起きた2018年の西日本豪雨(ダム決壊などの甚大な被害が出た)では、避難所でカフェを開くなどの支援を行った。避難所だと、特に高齢者や子どもは段ボールの仕切りの中だけでの生活となりストレスを感じる。そこで、日中避難所にいる人がカフェでお話やお茶をしたり、マッサージをし合うなど、一息ついたり交流のできる場を作ることができた。このように、被災者が心に安らぎを持つために“交流”の場が要ると考えられたのは、実際の被災経験と、えひめ311で交流の場の必要性を認識していたからだろう。

 しかし、実際に直接被災者支援となると、意外と勇気がいると感じる人も多いのではないか。これを澤上さんに聞くと「被災者と話すことを恐れなくて良い」、という。人によって聞きたくない言葉やトラウマは誰にもわからないし、たとえ傷つけてしまってもそれを糧に学べば良いからである。そして、「被災者を触れてはいけない人のように扱わない」。被災者も一人の人間であり、色眼鏡を通して見られるがおかしいのは当然である。「自分が声をかけてほしい時に声をかけてもらえなかったら…?」と想像すると、距離を置かずに話しかけられる。あとは、いきなり大丈夫?と心配されるより、天気などの何気ない会話から始まる方が居心地良く話すことができるという。被災地は非日常的で、落ち着くことができない環境。だから、震災前の日常会話が日常を取り戻すきっかけになる。

 

●「したい生活がしたい場所でできるようになるまで、復興は続く」

「福島(故郷)に帰っての生活こそが本当の再建であり、したい生活がしたい場所でできるようになるまで復興は続く」と澤上さん。

 避難先での生活は、生活が再建されているようで、実は心と身体が別々であり、まだ生活再建に翻弄されていると言う。震災当時私(=小浜)は小学生で何もできなかったが、今からでも東日本大震災の復興支援をすることは遅くないのかもしれない。今後災害が起きたらどう動くか考えるとともに、被災し今も震災を忘れていない人たちへ自分にできることを何か行動を起こしたい。(小浜)