8/25 京都府宇治水害活動報告

京都府宇治市炭山地区。約120世帯人口約330人の山間部にある小さな村です。

8月13日の集中豪雨で至る所が土砂崩れを起こし、一時孤立状態に。

ライフラインは遮断され、食中毒も発生、救急車が入ることもできず、非常に厳しい数日間を送られたようです。市街地を結ぶ幹線道路は現在も通行止め。唯一通れるのは車一台通るのがやっとなほど細い山道。そこも今にも崩れてきそうな部分がたくさんあり、また雨や雷がきたら通行止めになりまた孤立してしまうため、住民の方も雨が降らないことを祈る日々です。

住民自力でやっていた10日間

8月24日(金)先発で米山一人で京都からレンタカーを借り炭山へ入りました。到着はお昼頃。地区のボランティアセンターが翌日から始動する場所では地域住民のお父さん方数名とRSY松永さんがニーズ表を作成していました。なかなか支援が入らないため、それまでの約10日間住民の方が自分たちだけで泥だし、片付けを行っていました。

 炭山には『炭山通信』という住民向けの新聞が毎日発行されており、その新聞を通し、今回のセンター開設に向けニーズ調査を行ったそうです。(素晴らしい!)金曜日時点でのニーズは約30件。炭山は陶芸家さんがたくさん住む町で、個人の窯も含め50個はあるとか。120世帯中50個ということからも陶芸家さんの町というのがわかります。焼き物は京都の清水焼で、高価な物もあるためボランティアでは扱えないお宅もありましたが、仕事場も含めるとニーズは増えるだろうとのことでした。

やっぱり床下が好き?!

 米山もセンターの荷物整理をお手伝いした後現場へ。床下浸水したお宅で、そのお宅のご家族と地元住民の方、近隣地域のボランティアさんと学生ボランティア団体さんが入っていました。作業は人海戦術。元の基礎の質により異なる泥水や粘土質の泥を、床下に潜りひたすらすくいました。
 翌土曜日、矢野事務局長と日帰りボラメンバー斎藤さんが京都入り。炭山地区ボランティアセンターも開設され、事務局長とセンターのお手伝い…するはずが、やはり斉藤さんと私は現場に出てしまいました。畑に溜まった重く固まった泥を取り除く作業と、民家の床下の泥だしをお手伝いしました。この日は100人程のボランティアさんが炭山入りしました。名古屋からのボラバス(バスは入れないので途中からワゴン車でピストン輸送)、近隣の町に住む団体さん、個人ボラさん、そして自分の家は被害がなかったから、と参加される地元の方がたくさんいらっしゃいました。

地域力の強さを感じた

 普段宮城で活動しているというボラさんにもたくさん出会いました。米山の東北なまりが耳に入ったらしく「一瞬どこにいるかわからなくなったよ(笑)」というボラさんも。ずっと石巻入りして小野さんと一緒に活動されていたとのことでした。今回現場に出ていて非常に感じたのは地域力の強さ。上でも触れましたが、自分の家は被害がなかったから、片付いたからと参加される若い方、ご夫婦やご家族の多さに驚きました。地元や近隣の学校からも先生方が入れ替わりで仕事の合間にお手伝いに来られているそうです。床下の作業は特に地元の若者が中心となり、できるだけ家主さんの意向を考慮しながらと慎重かつ効率的に作業する方法を話し合い、自ら率先して床下に潜っていました。

 「普段は人がいるのかってくらい静かなんだよ~。お祭りとかがあるとビールにつられてみんな出てくるんだけど(笑)」と手伝いに来ていた地元の若い奥さんが話してくれましたが、ご近所さん同士の交流があるからこそ、今回のように今までなかった災害での結束力、助け合いの精神、若い力に任せられる安心感が生まれるんだと感じました。まだ作業を残したまま炭山を撤退して来てしまいましたが、二次被害など起こることなく一日も早く復旧し、炭山の皆さんに穏やかな生活が戻ることを願いたいと思います。(米山)