10/30(日)に日帰りボラに参加された、斉藤智寿さんのご報告をご紹介します。
この日は、同町の仮設住宅で「まけないぞう」チームも活動。
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常磐線山下(山元町)~浜吉田(亘理町)間(10/16)
線路跡の先に見える赤い点は、電気機関車。津波でも流されず、そのまま残されている。
山元町内の駅は常磐線の山下、坂元の2駅。両駅とも、津波によって大きな被害を受けた。現在常磐線は、両駅を含む亘理(宮城県)~広野(福島県)間で不通となっている。町内では亘理~原ノ町間の代行バスが運行されているが、路線復旧の見通しは立っていない。
この日は、県内から男性2名、女性2名、さらに埼玉県から男性1名の計5名が参加。宇都宮を5時過ぎに出発した時には、辺りはまだ真っ暗。東北道を北上していくうちに、だんだんと夜が明けていく。天候は曇りで、外の気温は8~9℃。時折霧が立ち込めるものの、目立った渋滞も無く順調に進み、8時半頃、山元町に無事到着。
作業は、個人のお宅に伺って、床下の泥出しと清掃作業。
以前にもボランティアが作業に入っていて、床板はすでに外してあり、壁の石膏ボードや根太(床板を支えるための木の柱)などの釘も抜いてある。
当日到着すると、すでに他のボランティアグループが作業していて、床下の泥も取り出しやすいように掻き出してまとめてあったため、早速、泥出し開始。
根太が縦横に渡してあって大きなスコップは扱いづらいため、小ぶりなスコップを使い、穴の開いたバケツに土嚢袋を開いて架け、それに土を入れていく。
床下はもちろんだが、庭にも一面、津波によって運ばれた黒い泥が積もっている。
依頼主の方によると、以前は平らだった庭も、津波によってでこぼこになってしまったそうだ。
一見するとそれとわからないが、この黒い泥を掘ると、下に黄土色の別の層が出てくるので、この泥が津波によって運ばれてきたものだとはっきりわかる。
作業したお宅は、海岸線からは1.5km程。海は全く見えないが、それでも窓ガラスには、2mほどの高さにくっきりと津波の跡が残っていた。
泥の他にも、根太や柱などいたる所に泥・枯れ草などが張り付いているため、箒やブラシを使って、それらも丁寧に落としていく。
廊下や床の間など、床板を外せないところは、下にもぐりこんでの作業。
こうして泥出しをひと通り終えた後は、消毒液を含ませた雑巾で拭き上げ、この日の作業は終了。後日さらに清掃の続きと、地面には消石灰が撒かれるそうだ。
作業を終えてボランティアセンターに戻ると、東京・上板橋の「やきとん ひなた」様から、なんと秋刀魚と豚汁の炊き出し。
実際に現場で作業するボランティアは、こうした炊き出しをしてくれるいわばボランティアのボランティアや、事務局にあって調整に奔走する方々、快く送り出しそして帰りを待つ家族など、多くの人たちの協力と想いに支えられている。
今回の依頼主の方は、ご高齢にもかかわらず、ボランティアが来るたびに仮設住宅からやってくるという。
「わざわざ遠い所を大変ではないですか?」と聞くと、
「皆さんには元気を頂いている、だからこうして来るのが楽しみなんだ」と。
ボランティアと、それを支える多くの人たちの想いは、確かに、届いている。
※お昼の休憩時にうかがった「やまもと復興まつり」(JR山下駅前)の様子。たくさんの人で賑やか。復興を願い、地元の方々とボランティアの協力によって開かれた。
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