普通の避難とは違う原発避難。検査でまわされバスの中で亡くなる人も…

「関東の人は福島の原発が関東の電気を作っていることを知らない」

1021日の「若者に伝える原発避難」の準備で原発事故前と後で人々の原発に対する印象が全然違うことを知り驚いた。原発事故前、原発は環境にやさしく、町を潤してくれる良いものとして捉えられていた。今の原発が完全な悪というわけではないが、当時、原発に対して危険性を感じていた人は少なかった。三浦さんは原発事故前、東北電力から説明をもらい原子力発電所の見学に行った。そこで廃棄の問題を質問したのだが、うまく流されてしまい、少し不信感を感じたとのことだった。でも、「大きな産業や観光がないところの雇用の場になっていた」と語る三浦さん。そして避難して思ったのは「関東の人は自分たちの電気が福島で作られていることを知らない」ということだ。やはり「危ないものは関東エリアにはなく、現実問題、今回のような事故が関東であったら避難者の数は相当な数になっていただろう」と。危ないものは地方に押し付けるという印象があるが、父が原発で働いていたから大学に行けたという人がいるのも事実。一概に悪とも良とも決められないところに難しさがあると感じた。また、この原発が関東の電気を作っているのだから、関東の人ももっと自分事として原発について考えるべきなのではないかと感じた。

 

15分で通れるところを2時間かけて避難

12日のうちに避難をした三浦さん。すぐに帰れるだろうと思っていたが、その日の18時にまた移動することになり、普段15分で行けるところを渋滞により2時間かかっての移動になったという。そして、14日の夜に原発が爆発し、より遠いところに移動したほうが良いと言われた。三浦さんは「危険だったが行く場所が決まらないとなかなか避難できない」し、「どこまではっきりした情報なのかわからない」と原発避難の大変さを語った。放射線はどんどん広がっていくため、より遠いところに避難しなければならない。県外に避難するというのも原発避難特有のものかもしれない。また曖昧な情報で判断しなければならない不安もある。そして「辛いのは放射能があるから灯油が来なくなっていた」ことで、「早朝などの寒い時だけストーブをつけていた」という。

 

一つの教室に寝たきりの人が並んでいた

障がいを持つ人や高齢者などの弱い立場の人にとって避難はとても大変なものだと語る三浦さん。避難所では面倒見切れない寝たきりの人が一つの教室に並べられていたという。自分でトイレに行くことができず、異臭がし、とても劣悪な環境になっていた。また、原発避難は放射線検査のためにバスで色々なところにまわされることが多かった。冬で寒かったこともあり、バスの移動途中で亡くなる人も少なくなかったという。原発事故による死者はいないとの声もあるが、このような話を聞くと明らかに原発事故による被害だといえる。原発避難は避難する数が違うため、それによる被害や死は相当なものだったのではないかと思う。

 

(加藤)