災害救援

能登地震&豪雨災害

 

奥能登・週末ボランティア

みんなで運転/昼・2泊3日

(第4金12:00発)

みんなで運転/夜・2泊2日

(第2金19:00発) 

 

 

奥能登・輪島市町野町。コンビニ・飲食店なし。ボランティアも少ないです

1/1の地震で70%の家が全半壊、さらに9/21の水害で壊滅的な被害を受けた地区です。

仮設住宅や在宅避難の見守りなどの活動が必要で、長期的な復興支援を行います。

冬は片付け、援農はできないので、

足湯、手芸「まけないぞう」制作や、お茶会のボランティアを募集します。

月2回隔週で実施!

 

【支援の計画】

○支援する場所:石川県輪島市・町野町

○活動:避難所・仮設住宅の支援(お茶会、足湯ボランティア、手芸「まけないぞう」づくり、棚づくりなど)、在宅避難者のニーズ調査、家屋の片付け、引っ越し、農地・宅地の応急復旧など。

〇ワゴン車(ハイエース)を運転していきます。運転のみボラも募集。運転できない人も募集

 

  

■行程① 昼発コース(第4金12:00発)

・現地で土/終日、日/半日の活動。

・金曜の昼12時に出発。日曜21時宇都宮着/東京方面の人は高崎線・新町駅で降車。

・11:00集合、12:00出発。

 ○ 宿泊:現地のホテル。1泊2000円(学生は半額を補助)、寝袋持参。

 

■行程② 夜発コース(第2金19:00発)

・現地で土/終日、日/半日の活動。

・金曜の夜19時に出発。日曜21時宇都宮着、東京方面は19時に高崎線・新町駅降車。

・11:00集合、12:00出発(金夜出発し、土の早朝着、仮眠し10時から活動)

 ○ 宿泊:現地の集会所等。1泊1000円程度、寝袋かシーツ持参。

 

○ 食事:宿泊場で自炊(運転コース)、またはコンビニ等で調達。

○ 参加費:3000円(本会の年会費。2回目以降はなし)

○ ボランティア保険は自分で加入してください⇒   https://www.saigaivc.com/insurance/

〇 報告会とボランティア事前説明会を毎週土曜18:00~事務所で行います(オンライン参加も可)

〇 未成年者は保護者の承諾が必要です。

○ 持ち物:着替え、寝袋(夏はシーツのみでもOK)、洗面用品、タオル、長靴、カッパ(傘)、保険証 ○服装:動きやすい服装

 

1/10-12 夜発コース

1/24-26 昼発コース(※この日のみ16:00発)

2/14-16 夜発コース

2/28-3/2  昼発コース

3/14-16 夜発コース

3/28-30  昼発コース

(1月からは月2回の予定です)

 

※なお各種の都合で活動便が中止になることもあります。バスは定員が7人以上にならない場合中止か、みんなで運転していくことに変更します

※災害NPO、NGOなどで独自に派遣計画を立てたい方も歓迎です。相談に乗ります。

※個人の自家用車等で現地に行く人も歓迎。連絡ください。

 

◆グーグルフォームから申し込み こちら>>https://forms.gle/YKgdQ5RftqFr8jyi8

◆申込/電話028-678-3155

 

応募のやり取り

①グーグルフォームに記入する

②応募から3日程度(日月祝休業)で事務局から仮受付メールが届きます

 ※詳細情報についての資料も添付いたします。

③出発日までに参加可能な説明会の日程

 (説明会は毎週土曜日18:00-)

 を事務局宛てに返信してください: info@tochigiVnet.jp

④受付完了

 

※フォーム送信後3営業日以内(日月祝は休業)にメールが届かない場合は、お手数ですが「とちぎボランティアネットワーク・028-678-3155」まで電話してください。

※必要事項を明記したメール(③)が事務局で確認できなかった場合は応募取り消しとなりますので、ご注意ください。

 

認定NPO法人とちぎボランティアネットワーク

電話028-678-3155 FAX028-678-3176 ■https://www.tochigivnet.com ■メール info@tochigivnet.jp


 

毎週土曜 18:00-19:00時 説明会・報告会・会議(リアル&ZOOM)

興味のある方はどなたでも参加できます。事前申込みは不要。

>> こちら  


足りない名簿 年度内、隔週!

1/17現在

3月まで月2回行きます。応募を!!

3月までの日程を公開してます。4月からも継続予定。


寄付募集


ブログ(活動日記)


【能登ボラふり返り】 惨事便乗の復興

 12/28、今年最後の能登ボラだった。いつもお世話になっている町野町金蔵地区で餅つき。住民の皆さん20人位と栃ボラ17人。

 

集落95人中、13人残り。他は2次避難

 

 金蔵集落は元は53軒95人の山上の集落。室町時代から溜池で、天水のみで36町の棚田を作ってきた。1/1の地震で全壊・半壊家屋35件と棚田の亀裂、町野への道路不通、11個あった溜池は3つ残して使えなくなった。今年の作付けは5反しかてきなくなった。

 

「戻って来たい人が戻れるように」が集落(コミュニティ)の基本。

 

 2月下旬ここに初めて来たとき区長の井池さんは、仮設住宅を集落内に作ることを市に要望していた。断水で、集落に残っているのは13人だけ、市の炊き出しは毎日1回の弁当配布がやっとはじまった頃だった。隣の地区は全村避難をしていたが金蔵はそうしなかった。「集落は人がいることで維持される、戻りたい人が戻って来られるようにするのが大切」という。コミュニティを壊さない、を教訓にしてきたのが阪神淡路大震災からの30年だった。

 

仮設も集落外、復興住宅も集落外。コミュニティが壊される

 

 区長さんたちは「旧金蔵小跡地を仮設住宅用地に」と地権者に交渉し、条件整備して市と交渉したが、輪島市は町野町中心地域に仮設を2か所作った。

 6月、仮設ができはじめ集落に人が戻ってきた。金蔵は66人になった。といっても、うち21人は6キロ離れた仮設に住んでいる。

 9/21能登豪雨。地震で崩れ亀裂がはいっていた山は、立木ごと崩れ小河川の橋を塞ぎ平地の町野は大水害になった。仮設のある町野地区と金蔵は地震のときの3倍の山崩れで再び通行不能。断水と通信不能、さらに残った溜池3つも決壊した。

 10月「復興住宅を金蔵に」と要望したものの、またも市は町野町中心地区に建てるという。「住民には一度も意見をきくこともなく」と区長さん。

 

ショックドクトリン! 惨事便乗政策。…反対署名募集中!!

 

 何故こんなに頑ななのかと聞くと「コンパクトシティ構想」が財務省、総務省・国土交通省にあるからで、1軒の家のために道路維持し電気通すのは無駄、過疎地域は切り捨てていくという国の発想=政策がある。これでは財政力の弱い過疎地域の自治体はしたがわざるを得ない。

 これはショック・ドクトリン(惨事便乗政策)だろう。

 物言わぬ風土の能登の高齢者。山紫水明の地、棚田や集落の人と離れてそう長く元気でいられないだろう。6キロはいつでも行ける距離ではない。足で歩く畑に出る顔見知りと話すという日常を取り戻すのが田舎の復興の基本だ。国の都合でコミュニティ壊すのはやめてほしい。

 金蔵集落の人たちは要望書の署名を集めている。もちろん栃木のボランティアもみんなで署名した。

 復興住宅の「復興」とは何かが、問われている。(矢野正広)

能登ボラふり返り。17年ペーパードライバーの私が一番変化したかも

無力を痛感。「スマホと運転だ」
 最初に能登を訪れたのは2024年3月末。災害ボランティアへの参加は初めてでした。活動内容は「家の片付け」「災害ゴミの分別」「炊き出し」「足湯」「御用聞き」など多岐にわたり、参加者は見知らぬ土地でスマホのナビを使い、現地で借りた車を運転して活動場所へ移動していました。しかし当時の私はスマホを持っておらず、ペーパードライバー(17年!)でもあったため、後部座席に座ったまま現地に到着し、作業を手伝うことしかできませんでした。
 帰宅後、自分の無力さを痛感し、「年内にスマホを購入し、車を運転できるようになる」という目標を掲げました。翌4月には2度目の参加を申し込み、それまでにスマホを購入しました。前回、被災者から災害ゴミの捨て方について質問を受けた経験を踏まえ、今回は市町ごとの分別ルールや運搬方法を調査しました。例えば、「道路沿いに分別して置けば業者が回収する地域」や「仮置き場まで自ら運ぶ必要がある地域」、さらには「特定の日にしか捨てられない地域」など、地域ごとに異なる規定があることが分かりました。ルールを守らなければ業者が回収せず、被災者が後処理を担わされるリスクもあるため、ボランティア側が主体的に情報を集め、対応することの重要性を感じました。
 
 チームのコーディネートも、ハイエースの運転もした
 その後も5月、6月と月1回のペースで能登を訪れ、活動を続けました。この頃、Vネットで人手が足りないと聞き、調整役であるコーディネーターを任されることになりました。協力団体との連絡、タイムスケジュールの管理、初参加者への配慮など、多岐にわたる業務の大変さを実感しました。震災から半年が経とうとしていましたが、まだ手つかずの家も多く、室内に繁殖したカビが印象に残っています。
 7月の転職を機に、しばらく能登へ行けない時期が続きましたが、その間に車を運転する準備を進めました。そして12月末、半年ぶりに能登を訪れました。今回は宇都宮~能登間の一部区間で車(ハイエース)を運転し、現地では車を使用して物資の調達・資材運搬などの手伝いもできました。少しでも皆さんの役に立てたと思うと嬉しかったです。
 久しぶりに訪れた能登は、海岸沿いの迂回路が整備され、仮設住宅が完成しているなど、復旧の進展を感じさせる一方、9月の水害でさらに被害を受けた場所もありました。
 この1年は私にとって大きな変化の年でした。そのきっかけを与えてくれた能登と、そこで出会った方々に感謝しています。これからも時間を作って能登を訪れ、少しでも復旧・復興に貢献できればと思っています。(内藤隆夫)

「 俺ら毎日やることねえんだ、魚はいっぱいいるんだけど」。

「ボラセンなく」復旧作業を頼めない人もいた

 

 4月からとちぎ ボランティアネットワークに入会し、輪島市 町野町で復旧活動に参加している。主な作業は倒壊した納屋からの器具の搬出、家屋からは家財道具の取り出し、また耕作ができなくなった水田の草刈り。ソフト面では集会所で足湯を行い、被災者のくつろぎを提供し、つぶやきを聞いてきた。

 現地では日本海沿いの国道249号が珠洲市に入ったところで通行止めのまま、集落内の道路は 手付かずの状態が残っている。 作付ができない水田には9月の集中豪雨が重なり、砂利、土砂、流木に覆われ、途方に暮れる状況だ。現場の活動はボランティアが足りず、私たちも頼まれた作業を完了できずに途中で切り上げざるを得ない状況が多々ある。

 また被災者側でも復旧してもらう作業を、どこへ頼んで良いかわからない人もいる。そんな状況なのでボランティア側が作業が必要な場所(家など)を探し、住民と調整して、それから復旧活動するという現実もあった。

 

5年前「栃木の水害も迅速にボラセン」できた。今年の山形水害でも。ここは??

 

 かつて大きな災害があった栃木県内の被災地の復旧活動を振り返ると、鹿沼、栃木、 佐野、宇都宮等を襲った5年前の台風19号の大洪水では、各市の社会福祉協議会によるボランティアセンターが早急に立ち上がり、 1人で参加する多くのボランティアを受け入れ、小グループに分けて活動先と内容を説明し、準備してあるスコップや一輪車などを持たせて現地・現場へ送り込んでいた。

  現にこの夏(2024年8月)、 大雨による最上川の氾濫があった山形県の鮭川村、戸沢村に行った時は、被災間もない 8月7日には、県と市の村の職員を配したボランティアセンターが立ち上がっていて、「本日は 50人のボランティア が参加して、〇〇の現場に向かっています。もう、今日の予定は足りてますね」とのこと。 道具・機材も揃っており、感動したところでした。

 

 身も心も 折れてしまう前に 船着場を整備してやらないと・・・

 

 11月2日の朝日新聞社説に輪島市町野町や南志見(なじみ)地区などでは多数のボランティアが必要だが、中心部から遠く、社協に多くを期待できないので地元有志で「まちなじボラセン」が活動している記事があった。しかしこれだけでは復旧活動は進まない。いち早く立ち上げたあとは、一人でも多くのボランティアを受け入れること、復旧の要望を取り上げること、それをマッチングして機材・道具を持たせて活動する体制をいち早く作ることが必要だ。

  新聞・テレビなどの報道機関も現状や活動を伝えることも大事だが、復旧の速度を早めるこれらの体制作りの必要性を節に訴えてほしい。

 ある漁師のつぶやきが聞こえてきた。

「 俺ら毎日やることねえんだ、魚はいっぱいいるんだけど」。

 身も心も 折れてしまう前に 船着場を整備してやらないと・・・と思い能登半島、曾々木の海岸を後にした。( 2024年11月/小林幹広) 

 

つぶやき2024/12/6

80代女性 〇(「まけないぞう作りの)張り紙を見て隣の人を誘ってきた。地震のことを考えると気が滅入るが、こうやって外から来てくれた人に話をすると気が軽くなる。 ・週に一回デイサービス(町野)に通っている。そこでも知り合いと話したり塗り絵をしたりして気晴らしになっている。 ・地震の後は体調がよくなかったが、生活が落ち着いてきたら体調もよくなってきた。 〇感想:活気がありよくお話される方だった。気が沈むとネガティブなことも話してくれた。私たちと話すことで少しでも気分転換になればいいと思う

 

40代女性

〇この集会場はふだん住民に解放されていて手芸が趣味の人が集まっていることもある。O出さんはこの頃外に出てくることも減っていたけど、今日は来ているからよかった。 ・こうやって教えてくれる、まけないぞうがいるのはいいね。これまで正月には親戚の家でうすときねで餅をついていた。(昨年の)地震直後は餅があったので役立った。伯父さんの家は全壊で取り壊してしまったのでもう餅つきはできない。 ・私の家では餅には豆、あわ、きびを混ぜる。あんこを入れてまとめる。お雑煮の場合、丸もちを焼かずに昆布だしの汁に生の岩ノリをのせる。 〇感想:比較的若い人からの話を聞けた。近所の高齢者のことを見守ってくれて心強いと思う。餅つきが伝統だったのにできなくなってしまって残念

 

M田さん 70代女性 〇地震の直後はみんな「家を解体して立て直す」と言っていたけど、この頃には言わなくなった。この先の見通しなんて全然立たないのに…。(足湯は)足がポカポカしてます。温まった。 〇感想:優しそうな穏やかな雰囲気で口数の少ない方でしたが、ぽつぽつと話してくださった。とても素敵な発言。なんとも返事のしようがなく聞いていた。足湯の後はまけないぞう作りをしばらく見学していた。楽しんでおられたようでよかった。

 

K下さん 70代女性 〇畑で、店で売っているような野菜は何でも作っていて今まで野菜なんて買ったことがなかった。この水害で畑に土砂が入ってしまって秋の野菜が全部だめになった。里芋だけは少しできた。 ・今日小さい芋を洗ったりしてきた。 ・畑をやっていると楽しくてほかに何も考えないでよい。 ・地震では何とかなったが水害があるとは思わなかった。 ・仮設住宅は春先が寒かったので冬の寒さが心配。 〇感想:→近所の人に声をかけてもらい参加、足湯の後まけないそう作りにも参加していた。笑顔で語ってくださった。足湯や手芸で気晴らしができたらいいなと思った。 H江さん 70代女性 〇納屋の窓が割れていたのをこの間ボランティアさんにふさいでもらった。今日は足湯をやったらまけないぞうを作る。このセーターも昔自分で編んだもの。 〇感想:本人がモノづくりに参加する とても好評。

 

K屋さん 80代女性

若い人に足湯をやってもらえてうれしい。深見で生まれ、裏山に嫁いだ。避難所には1か月になる。(9月の)水害で来た。仮設はまだ当たらない。

〇感想:あまりボランティアは来てない様子

 

能登ボラ3月まで月2回行きます>>>こちら


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まけないぞう

東日本大震災で被災したお母さんたちが、心をこめて作成した「まけないぞう」です。ひとつ400円。

 

くわしくは、「まけないぞうプロジェクト」をご覧ください。

 


わかめ(石巻市 十三浜産)

被災地支援で知り合った宮城県石巻市 十三浜のわかめ 390円

三陸わかめが有名ですが、地元「三陸」では“十三浜”産のわかめがブランドです。つまり、三陸の中で最もおいしいという評判のもの。

事務所やイベント、会員総会でも持ち歩いて売ってます。

ぞうといっしょにわかめはいかがですか。

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