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「ともしびプロジェクト」。震災を風化させない、私たちがつなぐ
9月24 日は「次世代に伝える。原発避難13年目ラジオ」。今回は宇都宮大学学生団体 「UP(宇大生プロジェクト)」の加藤優喜さんをゲストにお迎えした。UPは東日本大震災の復興支援をきっかけに発足し、震災直後から石巻など現地でボランティア活動を行ってきた。震災から13年。現在は震災を風化させないために団体メンバーが震災についての理解を深め、それを発信していく活動を行っている。
活動の1つが「ともしびプロジェクト」。たくさんのキャンドルに火を灯し、被害にあった人々への追悼、震災の記憶を後世に伝えるイベントとして宇都宮では毎年3月11日に開催されている。
そのほか原発被災地を巡るスタディーツアーにも団体メンバーが参加。現地ガイドによる説明を受けながら福島県双葉町、浪江町を訪れるこのツアーは、震災をより 「リアルに」学ぶことができる機会だと話した。
関連施設立地地域の「当たり前」を問うことが必要
加藤さんは青森県六ヶ所村出身。この村では原子力発電をした時に出る使用済み核燃料から、再び発電に利用できる物質を取り出す「再処理」作業を行う施設(核燃料再処理施設) の建設が進められている。1992年に建設を開始し今年で32年。建設を進める中で様々な問題が見つかり、中断を繰り返しているため、いまだ完成のめどは立っていない。現在は再利用できない高レベル放射性廃棄物という危険物質を一時保管する施設のみ稼働している。 加藤さんは、再処理施設建設の遅れを問う以前に、これらの施設に対する理解が地域住民においてもあまり進んでいないことを指摘した。原発に関連する施設という認識はある。しかし特に「施設がある状態が当たり前」として育ってきた若い世代の住民にとっては、実際にどのようなことを行う施設なのかを知らない。まずはその「当たり前を問う」ことが必要だと話した。
原発をあらゆる面から知ってほしい
加藤さんは放射性廃棄物の貯蔵施設や再処理施設の建設が進む地域で生まれ育ったからこそ、これらの施設が経済や雇用という面で地域へ恩恵をもたらしてきたことを知っている。一方で、団体の活動を通して原発事故の悲惨さや被災された方々の想いにも直接触れてきた。原発の良い面も悪い面も見てきたからこそ、「一方の意見だけを聞いて判断せず、どちらも自分で知るところから始めてほしい」と話し、その重要性を訴えた。
◆◆ 原発について知るべきことは、事故のことだけではない。目につく情報や意見だけではな く、「原発」というキーワードを自分で深めていく大切さを学ぶ機会になった。(ラジオ学生 ながたき)
ラジオ聞き逃し↓↓
「みんながけっぷちラジオ」×「次世代に伝える。原発避難13年目ラジオ/宇都宮大学学生団体「宇大生プロジェクト(up)」加藤優喜」24/09/2024 - YouTube
9月10日放送のラジオでは「とちぎの空襲を語り継ぐ会」代表であり、ウェブページ「とちぎ炎の記憶」を制作した大野幹夫さん(92歳)をゲストとしてお迎えした。大野さんは戦争の時代と宇都宮大空襲を13歳(中学生)のときに体験している。今回の放送では宇都宮大空襲という出来事について、そして軍国少年として過ごした戦時中の心情について語った。
宇都宮大空襲。「軍部、軍備工場が狙われた」
宇都宮は太平洋戦争当時12回の空襲を受けた。なかでも東京大空襲のような大きな夜間空襲は昭和27年7月12日の宇都宮大空襲だった。アメリカの爆撃機「B29」による焼夷弾8万発の攻撃を受けた。当時の宇都宮市は現在よりも狭かったが、市街地の65%が焼失した。中心地(馬場町・二荒山神社前)に住んでいた大野さんも空襲に巻き込まれることとなった。宇都宮のど真ん中で空襲を体験した大野さんはその経験を語り部として人々に伝える活動を20年も続けている。
戦時中に攻撃の対象となったのは軍事工場や基地・港湾だった。宇都宮は全国に工場を展開する中島飛行機製作所(現・(株)SUBARU)の中核的な連結役を担っていたことに加えて那須・日光御用邸などを守る役割を担っていたため、アメリカ軍が挙げた「中小都市空襲目標都市リスト」では180都市のなかの55番目に入り、実際には28番目に空襲を受けたという。
戦争中の当たり前は今とは違う
戦争中の暮らしを一言に表すのは難しいと大野さんは言う。現代では当たり前に売られているテレビや冷蔵庫などの家電も、コンビニで売られているものの9割も当時は無かった。物資は統制され、思うようには物が手に入らなかったという。こうした世の中だったということを念頭においたうえで戦争中の暮らしについて聞いてもらえないと、実際に起きたこととしてなかなかとらえてもらえないという。戦争中は誰しもが思うように物を手に入れることができなかった。皆が平等にモノがなかった。
実際に苦しかったのはむしろ戦後だった。隣組の制度や、互助の仕組みは無くなり助け合いが失われた。
戦争は心も破壊する。「ぴかぴかの軍国少年」の落胆
満州事変(1935)とほぼ同時期に生まれた大野さんは、少年時代を軍国主義の社会とともに過ごし、生まれてから終戦まで軍国少年として生きてきた。今では考えられないが、「お国のために死ぬのは当たり前のことだった」のだと振り返る。言論統制の影響で何も読めず喋れず聞けず。まるで日光の三猿のような状況で戦争以外のことは何も知らずに過ごした。戦争を批判するような考えが少しもない、ぴかぴかの軍国少年だったと大野さんは当時の自分を振り返る。
「お父様は亡くなられました」と言われ、嬉しかった。
その象徴的なエピソードを紹介してくれた。大野さんの父親は今でいうところの消防団に所属していた。そのため宇都宮で空襲があったときにも現場に駆け付けなくてはならず、大野さんは父とは別れて、母を自転車の後ろに乗せて避難した。途中の道は火の海だったが、夢中で自宅から4キロ先まで逃げた。翌朝、町に戻ると、自宅も何もかも無かった。それでも焼け跡から何か見つけようとしていた大野さん親子に、消防団の隊員が「お父様は無くなられました。」と告げた。本来なら悲しむべき出来事だが、当時の大野さんは悲しかったどころかむしろ嬉しくて、「父は仕事を全うしたのだ、これはすごいことなのだ、そして自分は英雄の子供なのだ」と思ったという。そんなところにニコニコ笑った父が帰ってきた。それをみて大野さんはがっかりしてしまったという。
この話を小学校でしたとき、感想文のひとつに「戦争というのはモノを破壊したり、家を焼いたりするだけではなく人の心まで破壊するんですね」とあった。その言葉にハッとするとともに、このエピソードを話してよかったと感じたという。
「語り継ぐ」とは「語った相手が語り始める」こと
「これからの世代の人々に伝えたいことは何か」という質問を受けるといつも困るという。「語り継ぐ」ということは、語った相手がまた語り始めるということだ。大野さんが作成したウェブページ「とちぎ炎の記憶」も継承する人が決まっている。これからの世代には語り継ぐことをしていってほしいと語った。
≪放送後記≫
戦争経験者の人口が減少していく中、私たちができることを考えるきっかけになる放送になった。大野さんの言葉を借りれば、「語り継ぐ」という行為がこれからの日本を生きる者たちに求められている。聞いたことを自分のものにし、それを家族でも友達でもいいからほかのだれかに話していきたい。できることは身の回りにあるはずだ。 ラジオ学生 野田
ラジオ聞き逃し↓↓
https://www.youtube.com/channel/UC7FypuAUxZEhsbCDDoqaUYg
今回は、大田原市で105年の歴史を誇る「Delightサロン中村」の4代目中村龍徳さんにお話を伺いました。
理容室と美容室を家族で営むこのサロンは、地域の皆様に長年愛されてきました。中村さんはその伝統を引き継ぎ、次世代へと繋げる役割を担っています。
Delightサロン中村は、中村さんの曾祖父が創業し、現在は中村さんが4代目として運営しています。家族全員でサロンを支え合いながら経営していることが、このサロンの大きな特徴です。中村さん自身、家族で一緒に働き、食事を共にする生活環境が理容師を志すきっかけになったと語っています。
中村さんは理容師として、主に男性のお客様のカットやシェービングを担当していますが、美容師も同じ店舗にあります。理容師と美容師の違いについても詳しく話していただきました。理容師は男性の顔剃りができる一方で、美容師はまつげエクステやパーマなど、より細かい美容施術を行うことができるとのことです。
中村さんは、高校生の頃に自身の髪質にコンプレックスがあり、ストレートパーマをかけてもらったことがきっかけとなり、理容の技術に興味を持ちました。それ以降、家族の背中を見ながら理容師としての道を歩み始め、現在ではお客様一人ひとりに寄り添ったスタイリングを提供しています。
インタビューの後半では、自宅でできる簡単なヘアセットのテクニックも紹介していただきました。ポイントは以下の通りです:
髪を濡らしてから乾かす:乾いたままスタイリング剤をつけるのではなく、髪を軽く濡らし、ドライヤーで乾かしながら形を作ることが重要です。乾く瞬間に形が決まるので、この工程を丁寧に行うだけで、スタイリングが格段にしやすくなります。
ドライヤーの使い方:ドライヤーは強風ではなく、弱風でじっくりと髪を乾かしながら、形を整えることがコツです。特に髪の根元に熱を与えて持ち上げることで、ボリュームが出ます。
スタイリング剤の使い方:スタイリング剤は指の間までしっかりと伸ばし、髪全体に均等に行き渡るようにつけます。この手法で、自然な流れを作りながらしっかりとした形をキープできます。
最後に、中村さんはお客様への感謝を述べ、これからも「Delight=喜び」を届け続けたいと語ってくれました。常連のお客様とは、言葉を交わさずとも好みのスタイルを理解し、満足していただけるような関係を築いていきたいという思いが強く伝わりました。
105年続くサロンの伝統と、これからの未来を見据えた中村さんの姿勢は、多くの方々にとって信頼と安心感を与えるものだと感じました。
YouTubeでインタビュー動画も公開していますので、ぜひそちらもチェックしてみてください!リンクはこちら⇨ https://www.youtube.com/live/szK4ad8tjZQ?si=wzTwdyt4eiaZprmf
インタビュー編集後記
今回のインタビューでは、お客様とのコミュニケーションの重要性や、さりげない気遣いがどれほど大切かという話がとても印象に残りました。技術だけではなくお客様との信頼関係が、良いスタイリングに繋がることを改めて感じます。
中村さんの仕事に対する姿勢や、お客様への思いやりがサロンの長い歴史を支えていることがよくわかり、これからも多くの方に愛され続ける理由が伝わってきました。
105年の伝統と、時代に合わせた進化を続けるDelightサロン中村がこれからもさらに多くの「Delight=喜び」を地域の皆さんに届けてくれることでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。(しょうちゃん)