能登地震+豪雨・救援>>こちら
とちぎ県北Vネット
フードバンク県北 / 子どもの居場所 スマイルハウス
営業時間
学生・若者ボランティア募集中。現在15人。
毎月1〜2回の会議で、当日までの企画を一緒に考えてくれる人募集中。
ボランティア大募集!
◎相談聞き取りボランティア
◎食品回収ボランティア
◆毎週木 15時~ フードバンク会議
現地と打合せした午後。洪水
3回目の能登に行ってきました。
1回目は1/1から半年たった6月末
2回目は9月2週目。
3回目は10月末。 9/21の水害の後、今回初めての能登半島。9/21は、たまたま午前中に現地の人とLINEをつないでもらっていて、その日の午後に大雨が…。被災状況のご連絡をいただきながら、あの人はご無事なんだろうか、あの方は?あの方も、どうかご無事で。と、願いながらテレビを見ていました。
音楽イベント、肩の力が抜ける時間に
今回の水害は、地震から半年たっても景観が変わらないところにあった豪雨だったために地震の時に崩れていた土砂・木などが流れて、ダムになって、ダムが決壊して、これだけの大きな被害になってしまったと聞いています。現地の人から「地震の時はこうだったけど、今回はこんなに動いてくれない」という国の救助活動の現状を聞いて言葉が出ませんでした。
今回、私の能登での活動は音楽セラピー&ミニライブイベントの開催。音楽の力は、、、偉大ですね。音を共有して、歌を聴いて、声を出すことで心にアクセスできるんですね。奥能登の人たちにとって、ちょっとでも、その場だけでも、肩の力が抜けるような優しい時間になっていたら嬉しいと願うばかりです。
リピートで来てくれる方、昨日良かったよって朝会いに来てくれる方、行けてないけど素敵な音が聞こえてきたと感想を伝えてくれる方、こんなに声出すの80年振りと綺麗な歌声を聞かせてくれる方、自分疲れてたって気づけたよって教えてくれた方。
無事だった人も、そうでない、会えない人も
前回足湯でお会いした人とは、ご無事でいてくれて、また会えてよかったとハグしながら2人で泣いてしまったり、何度もお世話になった宿のお母さんとお話できたり。とても貴重な時間を過ごすことができました。
「なんでボランティアに行くんだろう」と上手い回答が見つからないけど、また皆さんに会いに行きたいな。今回は、言葉にできないような気持ちがぐるぐるしていて整理できていないんですが、迷いながらも現地に足を運べて、音楽セラピーに携われて良かったです。(森満里奈さんFacebookより転載)
(現状と課題)
〇民間の社会福祉施設、事業所では重要な役職で社会福祉士の配置が義務付けられています。一方で生活保護行政など役所直営の社会福祉の部門ではその義務付けがありません。
〇その結果、社会福祉関連諸法の基礎的知識のない人や、社会福祉サービスについての基礎的な訓練を受けてきていない人が「受給の決定・解除」などの「措置」を行い、また「自立の助長」をおこなっている現状があります。
〇さらに「具体的なお金の額(支給額)」を決める行為は、「受給(希望)者の人生を左右すること」でもあり、重大な決定権を持っているとも言えます。こうした重要な行為を行う場合には「専門性のない人が携ってはいけない」と考えます。
〇こうした状況は、民間社会福祉と比べて(人員配置の水準、判断基準、サービス水準等が)著しく不均衡であると思います。
〇生活保護や児童福祉は本人とともに家族ごとのケースワークが重要ですが、それらは豊富な知識と経験に基づいてできる専門性の高い援助技術です。自治体行政の中で専門性を持った人を意識的に、かつ計画的に育てる必要があります。
■国の選挙終り、10/30からは栃木県知事選、宇都宮市長選がはじまります。そこで、私たち栃木県内の市民活動団体等の有志による公開質問状(15問)を公表し、候補者全員に「はい」「いいえ」「どちらでもない(考え)」を回答してもらうという取り組みを始めました。
サイト>https://
●読むだけでも面白いです。見てください。回答は10/30に公表します(到着次第・順次)
●拡散希望!!
3月「潰れたままの風景」、8月「解体・新築」の兆し、9/21水害!
私が初めて輪島市町野町を訪れたのは3月下旬。地震後3か月近く経つというのに中心部の家々がぺしゃんこに潰れたままの廃墟の風景に衝撃を受けた。その直前に訪れた穴水と違ってボランティアはほとんど見あたらずまるで忘れ去られたかのようだった。
その後町野がどうなっているのか気になり何度か通っている。はじめのうちの印象は「時間が経ってもなんだか変わらない」だった。もちろん色々少しずつ変わってはいるのだが、中心部の潰れた家が毎回目に飛び込んでくるし、水路が壊れて田植えを断念した話を聞き「この先この地域はどうなるのだろう」と不安を感じてしまう。
そんな町野でも、8月に久しぶりに来てみたら前向きな変化を多く感じられた。家屋の解体が始まった。新しくできた木造の仮設住宅で再会した方は避難所暮らしだった時と違って明るく落ち着いた表情になっていた。金蔵集落ではしばらく途絶えていた万灯会という行事を復活できたという。また、地域の名産品となるような果樹を育てたいからビニールハウスを移設したい、という方のお手伝いをして、地元の方の持つ潜在的な力を実感していた。
水2m。「絶望的な光景」の場所の掃除、と商売再開
そうやって少しずつ前に進み始めたような気がしていた所に9月21日の水害が起きた。自分の知る場所が水浸しになり土砂に押しつぶされる様子をTVで見て絶望的な気分になった。更に悲しい事に、増水した川がいつも宿泊していた海楽荘に直撃しご主人が流されたと知った。何もなすすべが無い無力感。私でもこんなに気が塞ぐのに、現地の人はどんなに気落ちしている事だろう。「これはとにかく行ってみなくては」と休みを調整し10月半ばに参加することにした。
もとやスーパーで作業することになった私たちは建物の泥汚れの掃除をした。その日は小さいスペースの仕上げ的な軽めの作業であったが、こびりついた泥はなかなか取れず作業は思ったより時間がかかった。水害後の作業は多くの人手が必要で何人でも短時間でも重宝される。
もとやスーパーではメインの建物は片付け中だが、もう一つの建物が営業開始してペットボトル飲料を販売、隣には支援物資が並んでいた。昼には炊き出し配布の場として大勢の人が集まっていた。今後宿泊スペースを併設する構想が掲げてある。ついこの間2mもの高さまで泥水にのまれたのに良くここまで復活した、と感激して泣きそうになる情景だった。
水が出ない。「2度も続けて災害に遭うなんて、他にこんなとこない」
金蔵集落では足湯カフェをした。みなさん笑顔で「あっさりする」(能登弁:すっきりする)、「来てくれてありがとう」という。今の生活は水が出ないことがかなり不便、そして町野の中心部へ行く道が通行止のため入浴や買い物、水汲みは柳田、南志見など町野町外の地域へ行く方がまだ近い。話していると「前は楽しくやってたのに」「2度も続けて災害に遭うなんて、他にこんなとこない」とぼそっとこぼしていかれる方もいらした。「そうやって抱えている思いを聞きますからどんどん吐き出して行ってください」と思う。
現地1日半の短い滞在で少ししか見ていないが、水害の被害は酷くても頑張っている現地の方々に会えてほっとした。そして何かしらのお手伝いができてよかった。それにもとやスーパーの復活の様子からはこちらが希望と元気をもらった気がする。現地の人は2度の災難に負けずぜひ乗り越えて欲しい。泥出しや片付け作業の人手は当分必要だろう。それに外から人が来てくれることは現地の人には心強いことだと思う。またお手伝いしに行きたい。能登の水害のニュースを見て気になっている人にはぜひ現地に行ってみることを勧めたい。(飯嶋朋子)