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重い米軍基地負担。「平和を求める」の歴史と、「沖縄を再び戦場にさせない」今の運動

 

312日の「NPO・市民に聞く戦争と平和ラジオ」では、沖縄シリーズ3回目の谷山博史さん。谷山さんはかつて日本国際ボランティアセンター(JVC)スタッフとしてアフガニスタンやタイ、カンボジアで活動していた。現在は沖縄に移住し、戦争や平和を取り巻く問題の活動をしている。今回は、そのような沖縄の市民活動についてお話を伺った。 

 

 

1999「米兵少女レイプ事件」8.5万人抗議、2007「教科書〝集団自決〟記述削除問題11万人抗議・・

 悲惨な沖縄戦の歴史から、沖縄県民にとって米軍基地は重い負担となっている。現在は米軍基地に対して、辺野古〝新〟基地のキャンプ前での座り込みや、谷山さん自身も参加している基地埋め立ての土砂を運ぶ港での抵抗運動が行われている。そのような抵抗運動は戦後すぐ80年前から何度も行われてきた。

まだ米軍の統治下にあった1956年、米軍が基地の地代を払う条件が非常に悪かったことから、それに反発して15万人集会が行われた。

また、1970年にはコザ事件(コザ騒動、コザ暴動)が発生、5000人もの住民が米軍の車を焼き討ちにする激しいものだった。発端となった「軍人が住民をひいた交通事故」が騒動に発展する背景には、長年の米軍・米兵の犯罪があった。米軍統治下の沖縄ではアメリカ憲法にも日本国憲法にも属さず、犯罪者の捜査・逮捕・裁判がまともに行われない状態が続いていた(ウィキペディアより)。当時の琉球警察はそのことに共感したのか、事件参加者に重い処罰を与えなかったという。

さらに、1995年に小2の少女を米兵がレイプする事件(沖縄米兵少女暴行事件)には8万5000人が抗議。これに対して日本政府とアメリカ政府は普天間基地を返還することを約束したが、基地を辺野古に移動し新基地が建設されてしまった。

加えて、2007年には国の教科書検定で、沖縄戦の「集団自決強制」の記述を削除することなった。これに反対する県民集会(沖縄県における「集団自決強制」削除の教科書検定を巡る県民大会)がおこなわれた。県民11万人が集会に参加した。反発の大きさに、国(文科省)は、記述は復活した。

このように、全県で米軍基地問題や戦争美化に抵抗をする歴史が何度も繰り返されてきたのだ。

 

「世代や立場は問わない」。平和の問題

運動の参加者にはシニア世代が目立つが参加者は彼らだけではない。沖縄では米軍の垂直離着陸輸送機であるオスプレイの落下事故が相次いでいる。普天間基地にオスプレイが配備された2012年には、10万人の県民集会が行われ、県内全ての41の市町村の長、41市町村議会議長が反対の建白書を提出した。さらに東京の銀座で反対のデモを行った。

また、辺野古新基地の埋め立ての是非を問う県民投票が行われた時は多くの反対投票があった。しかし、未だ強硬に基地建設が継続されている。

もしアメリカと中国が戦争を開始すると、真っ先に沖縄が戦場となってしまう。この現状に対して、「沖縄対話プロジェクト」や全県の70の平和団体が集まり「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」が発足した。昨年11月に主催した「県民平和大集会」には1万人が参加し、シニア世代のみならず若者も多く集まった。

 

このような沖縄の問題を、栃木に住んでいて知ることは滅多にないだろう。メディアが全国規模でそれらを取り上げる機会が少ないからこそ、全3回にわたる「NPO・市民に聞く戦争と平和ラジオ」は非常に貴重であり、情報操作や米軍基地問題などについて考えさせられる内容であった。(立花)