大津町のホンダ技研の体育館に、隣の南阿蘇村の立野地区から100人避難しています。低いタイプのパーテーションがある畳の部屋とフローリングの部屋。立野地区は阿蘇大橋の崩落によって通行止めなので同じ村内に移動するには2時間近くかかるので、隣町のここに移動してきました。
仮設の風呂があり、お湯はANAが会社のボランティアとして空港から運んでいる。運営もANAスタッフ、周辺の掃除や片付けもANAのスタッフがしていた。炊き出し専門のボランティアがいて、メニューは多彩。提供は昼、夜2回。朝はパンかおにぎりが配送されてくる。
「炊き出しがダメになった」という報告を受けたので来てみた。以前はボランティアグループが単体で炊き出しを行っていたが、今は管理栄養士資格をもつ県外の個人ボランティア(本業は建築関係)の元で行われている。この人も衛生状態に問題があると考えていて、その場で参加を決めて環境改善に努めてくれてはいたが、この前後に保健所から炊き出しの中止を言われたようだ。(この人がいる22日までは許可は出たとのこと)
確かに屋根ある屋外の炊き出しで、床はタイルだが雑然としている。自家製の飲み物や食品が日の当たるところに置いてあったりと保健所が中止を告知するのもわからなくはない。また、調理する人も以前は手袋やエプロンはしていなかったようだ。この栄養士ボラの指導で手袋とエプロンをするようになったとのこと。
今後、炊き出しを続けるならば「衛生面をクリアし、住民が積極的に参加するしかない」と聞いた。一応、先日の会議で住民も手伝うようにはなった。午前10時と午後4時に常時1人。時たま3人参加し、住民も一緒に作り始めたばかりだった。本日、17時からこのことについて住民どおしで話し合いが行われる。
ボランティアにより炊き出しがあったことにより、メニューは豊富でてんぷらやコロッケもみんなで手作りしていた。住民にはとても好評だった。が、気温が高くなってきたこと、他の避難所で食中毒が発生したこともあり、とても敏感になっている。
①管理栄養士ボラ・50代男:高知からきている。ここの炊き出しの様子をみて、手伝い始めた。しかし22日(あと8日)で地元に帰ってしまうのでとても心配。俺がいなくなるとお弁当屋、おにぎり、パンのみになってしまう。このタイミングで住民が積極的になってくれればいいがなかなか言い出せない。夕方からの会議には参加する予定なので、様子をみて、住民に引き継いでいきたい。
②避難者・70代女:自分の地域じゃないから変な気持ちがする。大津町に感謝している。大切なものは取り出してきたのでもう戻らないと思う。これを期に息子(熊本市内在住)が同居を進めてくれているが、そこには行っていない。今も「こっちに来て一緒に暮らそう」と言ってくれてはいるが、高校生の孫のことなと息子には息子の生活があるんでこの避難所でしばらく頑張るつもり。ただ、息子がそう言ってくれたことが「うれしい」と喜んでいた。
③避難者40代女:私は犬を2匹飼っているので建物には入らない。この犬たちとこのテントにいる。天気のいい日にはテントの中は暑いので木陰にいる。旦那が仕事に行くと1人になってしまうので、この犬たちがいてくれてとてもうれしい。この生活がいつまで続くのかわからないが、プライバシーがあるテントは生活しやすい。地震があっても崩れる心配のない。しかし、風が強い日はとても怖い。建物の中の人、外の人それぞれいろいろあるよね。(以前来たときには気づかなかったが、敷地内の芝生のエリアに15張りほどのテントを発見。テントの外にいた人にインタビュー)
●小規模な避難所にも行ってきました:昼3人、夜12人。ここは元々、障害者支援施設なので段差のないフラットな玄関や各部屋、車いすでも利用できるトイレ、緊急通報装置など機能面ではとても良い印象。避難者はフローリングの部屋にマットと毛布、布団を使って生活している。間仕切りはない。訪問した時間には2人の避難者(夫婦)がいた。通常通り営業をしているので利用者がたくさんいた。
①避難所の管理者60代男:シルバー人材センターからの派遣。行政職員が通常業務に戻ったため、午前中1人、午後1人、夜は地元の消防団2人が泊まっている。行政の職員ではないため、基本的には何もわからないという。ここに避難しているのは、この周辺の人(新興住宅街)なので、一応顔見知りではあるが…。しかし、何とか皆さんうまく生活できていると思うとのこと。
②避難者70代女性:旦那と2人で避難してきている。さっきは旦那のズボンのすそがほつれていたので縫ってあげた。こんなことにも気づけるような余裕ができてきた。「本当に皆さんにはよくしていただいてありがたいです」。とても穏やかな感じの人。謙虚です。しかし、なかなか本音が言える環境にないため少し心配。(シバタ5/18)