震災から一年半を迎える南相馬へ
私個人としては初の南相馬での活動となる。活動地域は今年5月に立入りが可能になった福島第一原子力発電所から20km圏内(旧警戒区域)。今回は、日帰り常連メンバー5人での活動。
8時過ぎ、鹿島にある南相馬市生活復興ボランティアセンターに到着。しばらく待つと続々と車が入って来る。9時の受付開始を待たずして、20分前には受付に列が出来ている。各自受付票に記入していくが、かなり運営が体系化されている。印象的だったのは、受付票の最下部に「福島原子力発電所から20km圏内での活動」への承諾チェックが設けられていることだった。
9時過ぎにセンターの方によるオリエンテーションが始まる。ここでも改めて20km圏内の活動であることが説明され、不安なら勇気を持って辞退するようにとの説明(同センターでは、活動前に現地調査を実施し、2マイクロシーベルト以上の場所は活動対象外としているそう)。56名全員が同意し、続いてニーズのマッチングへ。当日は2件のニーズが活動対象で、27名と29名に振り分けられ活動することになる。
私たちの活動先は、小高区の海近くにある津波被害を受けたお宅。各自の車に乗り合い移動すること約15分、警察車両が待機する20km圏の境を通過。目には見えない境界線の手前と向こうで住むことが出来る出来ないの違いがある。自分がその立場ならと想像してみるが、到底理解出来るものではない。原子力災害が如何に理不尽・残酷であるか、その僅か一片でしかないが感じた。現地近くになると、道路が陥没したまま(土嚢で応急的に補修)の箇所があり、インフラの復旧が殆どなされていない状況を見て複雑な気持ちになる(電気も水道も復旧していない)。
依頼者さん宅は海から200m足らずの距離の高台にある。この高さにまで津波が来たという事実に、改めて脅威を覚える。高台ということで、床上1m程度の浸水だったため家屋の損傷はそれ程ではない様に見受けた。今回の依頼内容は、納屋(離れ)の片付け。現場の光景と臭いから、震災後1~2ヶ月の被災地の記憶がよみがる。まずは家財や瓦礫を運び出すためのスペースを作るために、敷地内の草刈りから(当該区域では放射能汚染の関係で、処分場等へは持込むことが許されていないためひとまず敷地内で管理せざるを得ない)。私たち含め29名のボランティアは、大まかな指示を受けてそれぞれ自分が出来ることを探し、テキパキと作業を進めていく。この日はの気温は30度前後と暑かったが、リーダーさんの的確な配慮で、20~30分おきに休憩を取り熱中症対策は万全。大物から搬出していき、最終的には床の泥も全て出し、出来るだけキレイな状態に。作業開始すること約4時間、当初の依頼内容以上に片づけが進み作業は終了。
最後に依頼者さんからお礼の言葉を頂いた。涙をこらえながら「暑い中すみませんでした。ありがとうございます。」と。ボランティア一同からも「ありがとうございました。」の返し。互いに感謝と敬いの気持ちを持っていることを感じるこの瞬間。
センターへ戻った際、窓越しにこれまでの総ニーズ数、対応済み数、残ニーズ数などが見え、まだまだ充足には時間と人手が必要なことが確認出来た。20km圏内は、立入りこそ可能となったものの居住は許されていない。他の地域で同程度の津波被害なら、片付けやリフォームも済んで居住出来ている場合もある。原子力災害さえなければ、と悔しい思いの被災者さん達は多勢いらっしゃるだろう。当事者ではない我々が出来ることは限られている。しかし活動を継続することでほんの少しでも何かの役に、支えになることは出来るのだと信じている。
昨年秋以来、とちぎボランティアネットワークの日帰り部隊は、山元町を中心に活動していますが、並行して出来る限り南相馬の支援も行っていきたいと、改めて強く感じました。そのためにも、もっと沢山の皆さんによる活動をお待ちしています。
※当該ボランティアセンターでは、活動場所での撮影を一切禁止しているため、今回活動現場の写真はありません。
aoki(a)
小高区某所から海を望む。ところどころ防潮堤が破壊し、打ちつける波でしぶきが舞い上がっている。